今日からドジャーズファンに

今月8日、北九大の203号室で一緒に写真に納まってもらったタラブ監督。後で何気に帽子が目に留まって、LAって何だろう?ロス?どこかの球団なのかしらね?と思っていたら、ドジャーズの帽子だったのですね??!!!
大谷選手がドジャースに移籍発表したのが13日。ということは、上映があった8日は、まだ大谷選手が移籍してくることなど監督はご存知なかったということになる。
タラブ監督、今日の入団記者会見も勿論みられたはず!
 奥さんのノブ子さん共々、家族、親族、ほか皆さん、よろこんでおられるに違いなし!!
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映画を見た翌々日、購入したDVDを旦那が再生しはじめたので、一緒にまた「ミシシッピーの100年」を見た。人種差別の痕跡の残る場所で、ホワイトとブラックの分け方ではなく、ホワイトとカラードで分けちゃったのぉーと旦那が言っていた。
白人至上主義(自分達を優越したものとして差別する)
私たち日本人は、白人至上主義の人から見ればカラード(colored).
大谷選手はヌーヨークとかでなく、カラードの場所を選んだ。
ほんの僅か、選択する際の意識の中にあったんじゃなかろうかと毎度の妄想を始める私。だって、あの賢き大谷さんだもん。←考えすぎ?(笑)
色々と絡みを含めて(勝手に絡みをもたせて)、私、今日から、にわかドジャーズファンになります‼

タラブ監督

キックバック閣僚ごっそり

政治資金キックバック問題、安倍派の閣僚ごっそり名前が挙がっている。
安倍さんおられた時だったら、こんな話は出て来ない。
先日より「面白くなってきたのぉ~、オ~ヤレヤレ」と旦那が言ってる。私も面白く思っている。けど、今日は「何やっても自民党への企業献金は続くし、自民党は変わらんけどね」と言っている。確かに、世の中の仕組みはこのご時世、簡単には変わらない。

昨今、訳の解らないほど巨額になっている防衛費。防衛って、なんだろう?どこまで必要なんでしょう?どこまでも、どこまでも、青天井で防衛にお金を投入。そのお金はどこの誰のお金を削ったもの?未来に残す借金は誰が払っていくの?そして結局のところ誰を救うの?ハイテクだろうが何だろうが、結局罪のない人までも無暗に殺す。自分達だけ救われて相手は死んでもいいという発想することは是?幸せ?死ぬ人のことは目を瞑っていればいいものね。軍事の技術は例えばインターネットの普及で生活を向上させた所もあるだろうけど、より多くの人を人とも思わず簡単に死に向かわせることができるようになったとも言える。さあ、どう生きましょうかね。

12月はクリスマスの月だけど

今年は姉の配慮のないブチ切りにより黄金ヒバが枯れてしまいリースを作る材料がとれず。その他諸々のストレスでクリスマスの飾りも何もせずにどよーんとしていたら昨日旦那がお人形を出したり飾り付けをしてくれた。今年もクリスマスのモードになんかまったくならないけど、少しでもクリスマスの平和な静けさが私と家族と世界に戻りますように。

すべてのリアクショ
 

映画 ミシシッピから100年 (100 Years from Mississippi)

映画"100 Years from Mississippi(ミシシッピから100年)" を見に北九州市立大学へ行ってきた。アメリカで数々の映画賞を受賞したドキュメンタリー映画で本邦初公開らしい。https://www.kitakyu-u.ac.jp/news/2023/11/004255.html

かれこれ、40年位前?学生をやっていた頃、WASP(ホワイト(白人)、アングロサクソンピューリタン)や奴隷貿易について多少知るようになり、その後もマンハッタン島の成り立ちなんかを常盤新平さんの著書で知ったけど(もうすっかり忘れてますけど^^;)、黒人の人種差別にいては、具体的によく知らず。今回見た映画は、凄惨なリンチなどについて、全く個人的な体験を個人的な目線で語ったメイミーさんの話をメインに、当時の写真なども挿み、息子が語っていくドキュメンタリー。漠然とした掴みで見に行ったけど、映画で体験を語られているメイミーさんの息子さんが監督さんで、一緒に来られていた日系の方が監督の奥様だったみたい。 
 監督さんのお母さん=メイミーさんは、5歳の時臨死体験されている。あの世はとても美しく虹色の場所だったとか。家族や近親の人の祈りと薬草でなんと蘇生! 
20人の大統領を見てきて、、一番最悪なのは、、あのへんな頭の毛の人(トランプさん)ねと(笑)。
なんと、111歳まで生きられたそう!!遺伝子的な優秀さもあったと思うけど、心の働きの大きい人だったからこそという気がする。
人間の中に肌の白い人や黒い人がいるだけ。黒人は悪というプロパガンダ。白人の中に寧ろブチ悪い奴とかいるしね。
そういえば、若い頃、ハロッズの化粧品売り場で、白人のおねーちゃんに如何にもイエローっていう目で見られたことあった。白人至上主義は今も残っている。
今も根強く(ミシシッピ-なんかでは特に?)人種差別は続いている様子。
監督さんは、話の筋からすると、アフリカ系アメリカ人決して尖がらない人という感じがした。古くからの遺伝子の働きもあるんだろうか、と、そんなことを考えてしまった。
同志社の和泉真澄先生がこの映画を取り上げて監督まで呼んで下さったのだろうと思われる。映画の前に地理的な説明などして下さり解り易かった。どういう繋がりで北九に来られたのか解らないけれど、ありがたし。九州では初公開映画らしい。
北九州市立大学本館C203 の教室で学生さん達と一緒に一般人の私もタダで見ることができた。感謝感謝。学生さん達この映画のレポートの提出をしなければいけなかったみたいだから、それなりに気を入れて?見たはず。何人かに一人位の割合でいいから、心にしっかり残るといいな。ずっと覚えていて欲しい。
4枚ほど和泉先生がこの映画のDVDを持ってこられていて、購入することができた。また誰かと一緒に見たいと思う。
最後に、何もわからずアッシーしてくれた旦那君ありがとう。道中の車の中で食べた旦那作のおにぎり🍙は美味かった。
 

 

 

秋吉台音楽コンクール コントラバス部門

秋吉台音楽コンクールを聴きに行った。美祢市秋吉台芸術村での開催で、観覧は無料。どこでチラシをピックアップしてきたかも忘れてしまったけれど、探し物をしていてチラシが出てきて、開催日は旦那共々フリーだったし、家からも30分もかからない場所での開催なので行ってみた。

ピアノ伴奏でコントラバス一台での演奏は過去に聴いたことがない。でも今回演奏を聴き、コントラバスという楽器がとてもバラエティに富んだユニークな音色を色々出せる事を知り、その演奏と楽器をすっかり気に入ってしまった。楽器の中に大きな空間をもつ楽器なので、物理的な音の振動の大きさが空間に与えていく影響は大きく、太く低い音は、大きな森に居るような気分や、巨木の側に居る時のような安堵感を感じさせてくれる。

其々の演奏者の方が持ってられるコントラバスをみるにつけ、赤味の強いものから、暗めの茶色のもの、材質は主には杉材だろうけれど、硬さの違う色んな材の利用があるような気がした。形もくびれの強いものから然程でもないものもあり、大きさにも随分差がある。首下のくびれの強い楽器は高音が弾きやすそうで鳴りも良かったし、音取りもしやすそうだったけれど、誰が扱ってもそこそこ良い音が出せるような楽器は個人的にはつまらないという感じもうけた。一寸扱いづらい楽器の方が面白そうだった。

コントラバスのような低音の響きは、再生機器で再現するのが難しいと聞く。生の楽器でないと、あの空間の太く低い響きを感じる事は出来ない。そう思うと、その点においても今回の演奏は私にとってとても貴重だった。コントラバスはとても魅力的な楽器。その魅力を今まで知らなかったし、知る機会も無かった。

すっかり嵌まってしまったけれど、勿論それは演奏者による所がとても大きい。奥田敏康という方の音楽の楽しさを知ってる表情と演奏、はじめは一寸生意気そうにも見えたけれど素晴らしくステキだった張 馝根いう方の演奏、主にこのお二人のお陰でコントラバスの魅力を堪能することができた。因みに楽しみにしていた奥田さんの演奏が聴けたのは第二次予選まで。奥田さんは佐渡裕さんの指揮されるPAC(?)に4年間在籍されていたと聞いたけど、とても素敵な音を鳴らされていて、一次予選のピアノとの音合わせの一音で魅了された人だったので、とても残念だった。しかし何故PACにパスするような奥田さんがファイナルに行けなかったのかよく解らない。でも音楽は最終的には個人的な好みの問題と思っているし、私は私の好きな音(音楽)を聴くので、審査員の方々がどのような采配をしようが良しとしよう。

審査の結果は、1位該当なし。2位、小坪 直央さん、十河 七海さん。3位,大友 響稀さん、張 馝根さん。 2位の方はお二方とも、天下の芸大に行っておられる方のようだけれど、それらしき表情で演奏されていたけれど、音にまでその表れがしっかりあったか、私に感じられたかと言えば、クエスチョン。予選では、やっと音を拾っているという感じの所もあったし、音をさらっているだけにしか聴こえない所もあった。何故2位なのか全く解らない。二度目を三度目を聴きたいという気も全くおこらない。リサイタルがあったとしても、まず行かないだろう。勿論個人的な感想ではある。寧ろ3位の大友 響稀さん、張 馝根さんの方が良かった。張馝根さんのファイナルの演奏に関しては私的には飛びぬけて良かった。全体を通して一番暗譜もしておられたと思うし、それはイコール練習量(及び才能)ではなかったのかとも思う。一音一音の音の美しさ、正確さ、意図的な音の出し方、最後まで配慮が行き渡り鳴っていたロングノート、変わった音色を出してからの元の音への戻り方の全体の中での自然さ、音楽の解釈、伴奏者への共演者としての心配り、等々まだお若い方の様にみえたけれど全てにおいて良かった。ロビーで案内の席にえおられた人も、この人の演奏にとても関心を寄せられていたようだった。ファイナルのリストを見て、この人が1位だと思ったら3位。訳わからない。遠く韓国からの参加で、以前半年ほど芸大に在籍された方と聞いた。今後、張 馝根さんの演奏会が是非に日本であって欲しいし、あったら是非とも聴きに行きたい。友人知人にも是非に紹介したいと思うし、徐々にこれから知れ渡る人になって欲しい。今後の活躍を強く望む。

しかし、これだけ観客が集まらないのは、このコンクールのお・か・し・さを物語っているのではなかろうか?。普通だったら12回目ともなれば、それなりに周知されてきて、お客さんもそこそこ入るはず。それなのに、第1次、第2次予選ともに私たち含めて4人程度しかお客さんはおらず、本選の後半は、出演されていた方を除けば、私たち夫婦だけだったように思う。日曜日は他のイベントと被った所為もあるかもしれないけれど、それでも少なすぎる。何の為の、誰のための、コンクールなのか?と旦那さんが言っていたけれど、まさにそう思う。因みに主催:公益財団法人山口きらめき財団および秋吉台国際芸術村 後援:山口県,山口県教育委員会美祢市美祢市教育委員会山口県文化連盟、朝日新聞社毎日新聞社読売新聞社山口新聞社中国新聞防長本社、KRY山口放送tysテレビ山口yab山口朝日放送FMYエフエム山口、エフエムきらら、FMスマイルウェ~ブ。後援も名前だけは沢山書いてあって、建物も立派だから、如何にも立派なコンクールのように見せかけているけれど、参加してみてびっくりではなかっただろか?

熱意を持って開催しているのであれば、本選に観客2人しか来ないということは無いと思う。忖度なく真っ当なコンクールであれば、回を重ねるたびに人は勝手に集まってくると思う。もしかしたら、あまり突っ込まれたくなくて、観客には来てもらいたくないのかもしれない。きっとそんな所だろう。演奏を聴けて、それはありがたい事だったけれど、このコンクールをやって、税金を払っている市民や県民にどれだけメリットがあるのだろうか?建物を存続させるため、予算取りの為の表面的なイベントだろうけど、その程度の意識のコンクールなら、開催しなくていいんじゃないかと思えてくる。

忖度筆頭大国山口県。一応審査員の名前を書いておくと、審査委員長:永島義男、審査員:池松宏・石川滋・黒木岩寿・西口勝・吉田秀・金木俊幸(敬称略)。内容も規模もクエスチョンのコンクールにこれだけの審査員(の経費)が必要なのだろか?因みに審査員に女性の名前は一人もなし。県知事なんて一度も見に来ていないと思うけれど、県知事賞が出ている。誰がどのような基準で選んでいるのだろう?よく解らない、さすが山口県

秋吉台音楽コンクールアーカイブ配信"として、本選の全演奏を秋吉台国際芸術村You Tubeアカウントで無料公開いたします”とプリントに書いてあるので、後日聴けるのだろう。でも、本選に選ばれた方だけなので、PACに在籍しステキな音を出しておられた奥田敏康さんの演奏は聴けない。代わりに第1次予選では音取りも疑問が残るような演奏だった人の録音は聴ける。なんともはやしっくりこないコンクール。録音状態は全く期待できないけれど、張 馝根さんの演奏は是非に聴きたいし、多くの人に聴いてもらいたいと思っている。 

来年は参加費を随分上げて開催される模様。今回一位該当なしで40万円浮かせることができただろうけど、そのお金はどういう消化のされ方をするのだろう?微々たるお金として有耶無耶になっていくのだろう。そのお金で、一般に向けてピアノの無料開放デーとか作ってくれたらよいのにと思う。

この記事、奥田敏康さん(名指し・(笑)失礼)が読んで下さるとイイな。←ミーハーです(笑)。山口県ちゃー安倍さんのおひざ元、そんなところですよ~。

そして、次回コンクールの参加を考えている人の目にもとまるとイイなと思う。ついでに美祢市政を考える人などの目にも留まるとイイなと思う。合掌

 

#秋吉台音楽コンクール #コントラバス部門

やまぐち大考古博

約12年ぶりに山口県立博物館に行った。入口へ向かう階段を上りながら改めて随分古びた建物だと感じる。私たちの他に、単独で入館していた20代かなと思しき女性が2人と家族連れが二組位、特別展だけど、入館者は少な目。

冷房が効きすぎにも感じる館内は、子供用の展示と言えども、大人がみても十分面白い展示が沢山ある。基礎知識として知っておきたいものは沢山あって、今回の特別展以外の展示スペースを見るだけでも随分と時間がかかってしまった。150円の入館料なので、また改めて足を運びたい。

今回の「やまぐち大考古博」の目玉は、近年発掘された埴輪、土偶。かなりサイズも大きくて古い時代の山口の権力の大きさをみる事ができる。

県内には大小80もの古墳があるというのは、とても意外だった。私が子供の頃学校で習った歴史は、ざっくりと縄文時代弥生時代があって、その後は、奈良、平安と続いていったけれど、西暦0~500年位の間にも、またそれ以前にも、知られていないだけで、多くの権力者がいた。ここは心地の良い場所だなと思う所には、大概権力者のエリアがある。土地が住む人に与えるものは大きい。

大きなサイズの遺物をみるにつけ、2000年も前から、中央の政治との結びつきが強かったのだなと思う。そして、その風潮が今も続いているのかと思うと、時代を経ても変わらないのだなと思う。それは地の所為か、血の所為か。

久しぶりの博物館だったので、結局3時間もいた。この頃はブラタモリの影響もあって、地質にも興味があるし、天体の事なども面白そう。因みに旦那に「生物が骨を持ったというのは、すごい出来事だったのよ」と説明を受けたのは、ここの恐竜のレプリカの前だったな(笑)

実家の事

お盆のお墓参りのため実家に寄った。空き家になってからも維持の為、頻繁に通っていた実家。去年、姉に剪定、草取りをお願いしたが、勿論まともにやる訳もなく、草はぼうぼう。身勝手な剪定をされた樹木は歪さを増していっている。

空き家になってから固定資産税の支払いや剪定、10年弱の間ほぼ私一人で頑張ってやってきた。何かを言えば無視もしくは文句しか言わない姉だから、仕方なく一人黙ってやってきた。誰か第三者が居るときは愛想よく振舞う姉だけど、大変な労力のいる剪定を私一人で頑張ってやり続けても労いの言葉の一つもなく、固定資産税を払い続けても全く無視。辛い立場にある人へ思いやりはない。権力側につき、新興宗教に入って頭と身を固め、自分自身で考えず、誰か権力を持った人が言うことで処理しようとする。自分にとって少しでも不利になることは一切無言で無視。対応する人によって態度を変える。愛想だけはいい。何気に自分の旦那自慢をする。多用する言葉は、分断にしかならない上から目線での”自己責任”。生命、生物を理解し対処するというより、私には無意味なエネルギーグッズとやらでの妄信偏見対応。

そんな姉がいる所為で、形成された所もある私。勿論相互作用による所もあろうけれど、随分心身ともにお気の毒だった私。染み付いた痛みは時に大きくぶり返す。かなり辛くはあるけれど、でも少しでも癒えるよう、考え方を更に見直すなどして何とか処置をしていかねばなりません。

実家に行ったら、それがどこからなぜやって来たもの解らなかったけれど、悲しい気分がやってきた。家が悲しんでいたのかもしれないし、私の中のどこか遠い一部分が悲しんだのかもしれない。私と実家、できる分だけ大切にしてあげよう。いずれ全ては果てるものだとしても、愛すべきはその行為だからとして。