第2・4土曜日は坐禅の日。坐禅よりも、坐禅が終わった後の、お茶を飲みながらのお喋り目当てに行っていると言えなくもない(笑)
坐禅はまだ今日で3回目。今日は人数も少なく方丈様以外はヨガの先生を含めて3人だけだった。
今日はFさんという方と初めてお会いした。少し(かなり)ご高齢のようにお見受けしたので、歳をとられても目的意識?をもたれて坐禅にこられるなんてすごいなぁと思い、お茶を飲みつつお話を伺ってみると、とても問題意識の高そうなおばあちゃんであった。
農業をしていると言われていたけれど、とても学びの意識の高い方のようで、私よりも遥かに頭全体の活性度が高いように感じられた。鍛えられた頭(身体も)をお持ちの方という印象。私がもし80歳近くになって(生きていない可能性の方が高そうな気もするが(^^ゞ))、あそこまで学びの意識を持って入れるだろうか?と思ふ。
講演会などに行くのが好きで、ノートルダム清心女学院の渡辺和子さん(学長?)のお話など(ラジオ?)が気に入っておられるご様子だった。私も15年位前にPHPでこの渡辺和子さんの書かれたものを読んだとき、良いなって思って憶えていたので、同じ人が好きであることがちょっと嬉しかった。
このおばあちゃん、片倉温泉で外国人さんと話していたら、お宅(アパート)に呼ばれて11時ごろまで話をしたことがあると言われていた。スゴ〜〜イ! 私は非常識だからとおばあちゃん言われていたけれど、私的には心が自由な人は大好きです!
常識なんて、ある限定された社会でそれが上手く行くように設定される通念みたいなもんだから、場所場所によったら必要な時もあるけれど、さっとそこから外れられることができるなんていうのは、本人の心の自由さによる(多世界・多次元を生きていることによる)ので、おばあちゃんのその非常識はとてもステキです!(笑)
話を聴くと、外国人さんは、40歳過ぎ位の黒人の方で、山口大学で(宇部だから工学部?)道徳を教えられている人だったそう。お宅へ招かれ、行き成り行ったにも関らず、お部屋はとてもキレイに片付けられていて、日本人より日本を大切にして生きておられる風だったそう。そこで、その黒人の外国人先生が「日本人は、日本の良いものを大切にようとしないから日本はダメになるだろう。」と言われたそう。ちょっと日本&自分を振り返らされる気分。。。
このおばあちゃん、生きた歴史の教科書と言う感じで、226事件や満州事変の話などもチラッとされた。先の大戦の話は母や祖母を始め色んな人から話を聞く事はあったけれど、それ以前の戦争の話は、たぶん聞いたことがない。私にとって第二次世界大戦以前の話は生きている話ではなく教科書の中でのみの遠い話だった。そんな時代を生きてきた人がすぐ隣でお話をされていると、妙に戦争を近くにリアルに感じた。戦争を体験した人の中には、すでに遠い過去の事としておられる(しておきたい)人が多いと思うのだけれど、このおばあちゃんにとって戦争は、今でもすぐ身近に風景や情感を伴って引っ張ってくることのできるもののような感じだった。
このおばあちゃん、坐禅に来るのは、救われたい気持ちが大きいからと言われていた。悩み事が多くて、と息子さんの話を何度となくされたときには、すぐ隣に座られているおばあちゃんを背後から抱きしめさせてもらいたい気分になっていた。おばあちゃん、こんな気分をありがとう。
来月、大寧寺(大内義隆が自害した所?)で催される「緑陰禅のつどい」に本日の坐禅参加者で行く事にした。またその時に、お話が聴けたらいいなぁと思う。楽しみにしておこう。