よきものと会うと

先生の所に行った事をまだ味わっている。別にこれといって特別に電撃的なことがあったという訳でもないけれど、思い出しながら、うっすら自分のことを見ている感じ?
誰かに依存しがちな気持ちが、行き過ぎがちになっていることに少し気づけた気がする。
因みにキネシ1回目は教えて貰いに行ったにも関らず、超閉塞的な自分になっていておしえてもらうどころではなかった(苦笑)

キネシを習いにいった1回目の時、帰り道、知っている道にもかかわらず、すごく迷ってしまった。如何に私がグルグルと迷っているかということだったのだろうと考えた。
2回目は、曲がるべき交差点を行過ぎてしまった。まあ、今回はすぐに気が付いて然程行き過ぎにはならずに済んだけれど。つまり「行き過ぎてます」のお知らせだったのだろうと思う。(あ〜これを書きながらデジャビュになってたこと思い出しちゃった。)
いつも自覚がなくて気づけなくて困ったものなんだけれど、行き過ぎて人に不快を与えてしまっていることが多々あるんだろうなぁ、、と思った。過ぎたるは及ばざるが如し、、、。
感情や考えることなど、行き過ぎになりがちになっているもよう。

他にも、先生に会って、良い物に出逢うことは自然と相対するものもよくなるのでいいことであるなぁ、、ということを思った。まあ世の中、良い悪いはないという見方や尺度はありますが、まあ、それはひとまずおいておいて、(でないと話しが進まないので(^^ゞ)

先生が、お人形さん用に漆塗りの黒い台を用意して下さっていた。とても軽かったのではじめプラスチックだろうと思っていたら、なんと塗り物だった。先生曰く、プラスチックだったら買わなかったと思うけれど、、との事。さすが先生。

新しく作られた木製のものだと、木の水分がしっかり飛んでいないことや、塗り厚さや粒子の粗さなどから、もう少し重く感じられる?ので、すっかりプラスチックだと思っていたら、本物の木製で漆の塗物。かなり古いものだったのだろう。

お人形に着せる素材は当然の如く全て絹。古布は、出来上がると新しいものにない独特の存在感を醸し出す。布が時間を所有している?網羅している?とでも言ったらいいのか、新しいものにはない風情がとてもいい。(そうよ、そうよ、若いだけが良いってことじゃないのよ〜〜←自己弁護・笑)

布は絵柄も楽しい。海の模様(セイガイ波っていうんだっけ?)とかフラワーオブライフみたいなのとか、きっと色んな文様にはそれぞれに意味(想い)があるはず。因みに私は、松の柄を選んだ。健康長寿の祈願です(^-^)
色もとてもきれいで、日本の色は鼠色のような色等が日本の色っぽく思うかもしれないけれど、本来の日本の色というのは、とてもきれいで鮮やかなものなのだと言われていたような、、。
白いちりめんの顔(胴体)の部分に朱の腰巻をあわせると、「ハレの色あわせ」って感じで、「あ〜〜日本!」って感じがしてくる。(笑)

今回のうさぎちゃんは、先生オリジナル!のものらしく、型紙なども、胴体にあわせて、自分で作っていかれた。型紙のサイズを変えて作っていった経験はあるけれど、型紙を立体に合わせて作るという経験(発想)のない私は、びっくりした。オートクチュールですねぇ。

兎のほかに狛犬っぽい形の製作途中のものがあったのだけれど、やや前のめりの姿勢など、シンメトリーでない微妙な動きなどが何とも言えずいい。伸びやかな表情のもの。ピッとした感じのもの。カワイイ♪


夕方先生の息子さんが学校から帰ってこられて、なんだか大きくなられた感じ。前会った時に比べて2cm位伸びたとか?2cm!?にわかに信じられない。現在私と身長一緒。声が以前会った時と変わっていて、ステキな声になってた。私にとって、声って非常〜〜に重要なファクター。

以前も電気屋さんで声のいい男の子に出くわし遠巻きに浮かれた事があるのだが(^^ゞステキな声の子供ができるのって、どうやったら出来るのだろうか、、などとアホなことを考えていた。骨格(体格、頭蓋骨など)による所も多分にあるとは思うけれど、でも同じような体格でも声は大きく違うこともあるし、精神性の部分、身体の内側へ向かう響きのみならず外側に大きく響いている(響かせている)部分、それらが表れるんだろなぁ、と思った。
如何にたっぷりの愛をもらったか(関ったか)にもよるかな。
その人がその人らしくいることが出来ているかということもありそう。
そんなこんなを考えて、、やっぱり先生の息子さんだもんねぇ、、という結論に至った。(笑)

私は子育てを放棄?しているから、子育ての苦労を知らないけれど、子育てって本当に大変なのだろうと思う。時間もお金も気力も体力も要るしね。。。

先生にあった日は、ヒーリングを受けた訳でもないのに、帰ってから呼吸は少し大きくできるようになっていたし、次の日、苦手になってしまっている相手からの電話も割りと普通に話せていた。先生に逢っただけで、私のどこかが修復されていたのだろうなぁと思う。ふんわりやんわりありがたい。

門司という街がなぜかとても好き。まあ、個人的にいい思い出が多いからというのもあるけれど、、。炭鉱が栄えた頃は、全国で学力が2番目によかったのだとか。佇まいの中になんとなく残る何かを感じているところもあるのかもしれない。古きものを大切にしながら、新しく開発がされつつある街。海から吹く風のある街。下町っぽさが残る街。歴史を感じる街。(山口からは)橋を渡っていく街。

次回(キネシ3回目)もお楽しみです。