変わっていく田舎

実家のご近所さんKさんが亡くなられてもうすぐ1年。一昨日の朝お花を持ってお墓参りに行ったら花入れの水がカチコチに凍っていてお花のお供えはできず、昨日夕方あらためてお花を持ってお参りに行った。脇に少し雪の残る細い道を歩きながら、近年亡くなられたご近所さんの事を思い出すとともに、この土地の数十年前のことを何となく思い出した。私が小さい頃は道の舗装もされていなかったし、今は宅地になって家が建ってしまった所も以前は田んぼで、そこにはオタマジャクシやヤゴもいた。学校帰りにはわざとあぜ道を通って色々遠回りして帰っていた。お墓の横に焼き場があって昔(40〜50年前迄?)はそこで遺体が焼かれていた。そこから登る煙を小さい頃みた記憶がある。この界隈の農業用の水は遠い山のそばのダムからひかれていて水路の溝掃除を昔は皆でしていたらしい。農地はだんだんと放置され今は溝掃除を皆ですることもなく農業したい人が各々でしないといけないらしい。だんだんとこの地域も変わってきたなと思い、自分が生き証人になっていくような気分がした。
30年いや40年位?の間あまりご近所のメンバーも変わらず住んできた田舎の家。それがここ2、3年位の間に畑が宅地になって売り出されていき、近所に3件の家が建ち、亡くなられたKさんの家も亡くなられたすぐ後に改築が始まり新しい人が入って来られた。Hさんの家も90歳を越える老齢の奥さんが息子のお嫁さんの実家の近くの老人ホームに引っ越して行かれたらしい。朝日新聞の「ひととき」に母の投稿が載った時、一番に電話してきて下さったHさんの奥さん。ご挨拶もできずに遠く岐阜県に行かれてしまった。もう二度とお会いする機会はないだろうと思う。

一周忌の法事のある頃だしHさんの親族の誰かお参りされたかなと思ったけれど誰もよられた様子もなし。この1年でKさんのお墓に参るのは3回目だけどその間一度も他にお墓参りをされた形跡なし。葬儀の際に初めてみた息子さんは結構現世主義者的な感じの人のように見えたし、そんなものか。また来ようと思いながらKさんの所のお参りを済ませもとのあぜ道を帰った。

途中、Hさんの家の外で野焼きをしておられる人がおられ、きっと新たに入居された人だろうなと思って軽く会釈をしたら会釈を返された。小さな子供がその後20m位ある畑をはさんで大きく「こんにちは〜」と声をかけてくれたから、こっちも「こんにちは〜!」と大きくお返事をした。新しくこられた方ですか?と尋ねると、やはりそうで、お名前はT井さんと言われるよし。「よろしくお願いします」と言われ、こちらも空き家になっている実家に時々帰っている旨説明し、よろしくお願いしますと挨拶した。今年お子さんが小学生になるとか。あの男の子は私と同窓になるんだな。多分小学校は一学年一クラスしかなくて20数名程度じゃないかと思う。30歳代半ば?と思しきお父さんは優しそうな感じの方で、同じ班に引っ越してこられた人がとても感じの良い人で良かった。良い人で安心した。

いつもKさんのお墓参りの時は「この地域を見守って下さいね」と言うけれど、なんとなくここ最近の変化に寂しさを拭えずいたら、新しく入ってこられた人に偶々会えて、寂しがることはなくて変化を受け入れて新しく地域のつながりをまた作っていけばいいよとKさんに何気に促されているような気もした。

また時々行こう、お墓参りに。リセットをして元気をもらうために。