上関原発予定地(田ノ浦)で起こっていること(その2)

本当の事をいえば、原発の事などあまり書きたくはない。何故か。すごく気が滅入ってきて、重い気分になってくるから。世の中には数え切れないほど沢山の様々な問題があろうと思うし比べられるものでもないけれど、それでも何がへヴィーって、これほどへヴィーな話題も無いんじゃないかって思う。

原子力発電。使われるのは、ウランやプルトニウム。あの広島・長崎に落とされた原子爆弾に利用されたエネルギーと同じもの。今だに最終的な処分の方法が確立されてもいない。核兵器への転用もできる。勿論もし事故でも起これば被害は甚大。

建設されれば、毎秒70トン、海水より7度も高い放射性を帯びた温排水が放出され続ける。それで対岸の祝島までは、距離はたったの4km。もし大事故でも起これば島民は100%死亡。

“誰も責任を取らない”「国策」という名のもとに、そして地域振興という税金バラ撒き政策をエサにして行われる原発事業。

色んな意味で、人間を人間でなくしてしまうもののような気がする。それが原発

原発の話題なんて、その闇の部分を知れば知るほど気分は悪くなってくるし、時々、その件についてはもうまっぴらごめんと思ったりもする。でもそうかと言ってやっぱり私にはご免にはならない。

一昨日、上関原発予定地である田ノ浦へ行った。上関原発予定地である田ノ浦海岸に行くのは今回で3度目。約1年前に初めて祝島へ行った際、同行した皆で帰りに寄ってみたのが最初。一年前に比べて現地は、かなり工事が進んでいた。

因みに『原子炉設置の許可も出されていないうちに埋め立て工事をしようとしている』というのが現状。かなり身勝手なやりかたが進められている。

現場につくと、何十人もの警備の人が反対派の人を取り囲んで、遠巻きに警察が監視しているという状況。反対派の人達に邪魔されずに工事を進める事ができるように、フェンスを張ろうとしているとのこと。

とりあえず、その場に座る。争いの雰囲気にならないように、そのような気分には同調しないように、そのような気分が其々の心にやってこないようにと思いながら、場を眺めつづけた。

隣に髪の長い華奢で美人の女性がいつの間にか座っておられて、訊けば和歌山県から駆けつけておられるとのことだった。話をしていたら、原発に関してものすごく詳しくて驚いた。和歌山県でも4個所で原発について学ぶ会が催されたそうである。トータルで600人以上の人がききに来られたらしい。はっきり言って、山口県より他県の方が意識が高いのではないか?

山口県原発の話題があまり持ちあがらないのは、県にある種独特な体質があるためではないかという気がする。権力に対する顔色伺い指数などは、他県にまして、非常に高いのではないかと思う。

2、3年前だったと思うが、偶々教育関係者の方からきいた話によると、学校では上からの教育方針の通達で、原子力発電は危なくないと指導するようになっているとのこと。上からの教育指導に不本意と思うところまで合わせるのかどうするのか、どのように子供達に伝えるのか、その場におられた教育関係者の方は、それぞれ悩まれているご様子だった。小さい頃に受けた教育による影響は大きいと思う。それらは大人になってからも影響を与えるところもあろう。

前述の和歌山から来られた女性の話によると、全国から寄せられていた脱原発を望む人達の「旗」は、中国電力が勝手に持ち去っていってしまったらしい。側にいた警察に「取りもどしてもらえませんか?」と言われたらしいけれど、不可。勝手に持って行ったのだったら、窃盗だろうと思うし、相応に対処してくれるのが警察官ではあるまいか?。悪い事してなくても、被害者でも、悪者扱いとなる群集意識。警察の方には、権力の元にではなく、本来の使命の元に、公平に動いて欲しい。毎日理不尽だらけということだった。せめて女性や高齢者は守って欲しいもの。

3時を大分過ぎ頃だったろうか?急に騒然となった。もみくちゃが始まり、状況にピントが合わず何がなんだかわからずに見ていたけれど、「あそこに行ったほうがいい、いかなきゃいけない」っていう心の声に従って、浜に降りて警備員のすぐ側に倒れておられるおばちゃんの側にいった。おばちゃんはピクピク痙攣をおこしておられた。おばちゃんをさすりながら暫く居たら泣けてきた。

大きな男の人が上から何人か乗っかって来られたらしい。後で知った記事によると、「祝島のお母さんの胸やお腹の上に、大男、数名が足の膝を使い、押さえ込み、さらにその上からも作業員は乗り…」というような状況だったらしい。女性、しかも、高齢者、そのような人に足を使い上から何人もの大男が抑え込むなんて、酷い。

因みに、中電の人達は、雇った警備員やいざこざの状況を、近くの建屋の中からブラインドに隙間を作って、そこからずっと覗き見しているのだとか。

あとで、遠巻きに太い鉄の棒をもったとび職の格好をした二人の人物が、嘲るように、けしかけるように笑っていた。その顔つきはまるで悪魔のように見えて本当にぞっとした。

警備員の人達も、あの感情が家に帰ったらスッと切り替わるのだろうか?毎日もしあのままだったら家族だってイヤだと思う。

現地には幼馴染と同じ宗派のご住職で私もよく顔を知っているご住職も来られていた。意外な所の接点に少し心が強くなる。

どちらからですか?と訊いた初老の紳士は千葉からと言われていた。他県ナンバーの車も結構あって、遠くからも人が来られているようだった。

原発は、賛成側の生活もかかっているし、反対側の生活もかかっている。どちらともの生命を脅かさない方法はないのだろうか?そういう方向をとれないのだろうか?

今まで企業側も散々お金を使ってきただろうし、これだけの事業をシフトしていくのは、非常に大変な事だと思う。

それでも、双方の生きる権利を奪わないやり方を何処かに模索していく、それくらいの懐を、上に立つ人達はもって考えて欲しい。

帰りに、祝島から来られていた何人ものおばちゃん達と握手をしてもらった。おばちゃん達はみんな逞しくて、大きくて、強い、母、だった。がっちりと温かい手のぬくもりがあった。

祝島のおばちゃん達と握手した時に伝わってきた強さ。それはまさに母の強さ。あの時の握手を、これからも忘れないでいたい。



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