今日がその日で浄化の雪?

今日も**バの商人(へへっ本当は証人)の人が来られた。居留守を使うこともあるけれど、嫌いではないタイプの人だったこともあり、時々お話を聴いている。
以前は、来られても毛嫌いして追い返していたけれど、「全ての人は、認められなければならない」という強い信念をお腹で練り上げた親蛙の言付を、悲しいかな知らぬ間に子蛙も聞くようになってしまった。

ノコチャンはノコチャン教(笑)の神様であり、また信者でもあるので(信者は1人)入信はたぶん100%することないと思いますよ、という旨を伝え、それでもいいと言われたので、お話を聴くようになった。話を聴いていたら、これが結構、史実として面白いっということが解ったので、自分にとって美味しい所だけ味わわせてもらってきた。今まで、漠然とした作り話のようにに思っていた聖書のことが、実際にその時代に、その現場であった事も書かれていることを知ると、へぇ〜と思うことが多かった。もっと知ると、私の好きな絵画の世界ももっと味わい深くなってくるのだろう。宗教画のみならず、偉大なる画家達は、色んな意図を聖書の中にみて描いているのだろうが、知らなければ、知ろうとしなければ、知らせようとしている事も、意図も解らない。

**バの方とお話をする時、一番困るのが、輪廻転生の有無。仏教は輪廻転生を述べるが、キリスト教では輪廻転生はないとしている。これが一番のネック。私は一応ブディストらしいし(偶々家が仏教徒)、何故か輪廻転生も小さい頃から勝手に普通に信じている。二十歳前後の頃だったか輪廻転生を信じる人は少数派だと知った時は、長い間ショックが続いた。

この違いは、私にとってはとても大きいし、これを一緒に飲み込むことは、とても難しい。だから、その手の話になると、ゆっくりやんわり話題をとめている。対立してしまいたくないから。
今まで、自己の正義を振りかざして、酷い目にあわせ、そして散々な目にあってきたけど、もうそんな気力、体力、脳みそもない。でも、少しまた丈夫になれたら、その時にまた、今度は遊びながらバトル?できるといいなと思う。(ロナウジーニョがサッカーするみたいに?)しかし、この違いが一緒に飲み込めるような理解ができるようになるのだろうか? 難しそう。

知らなかったが、今日は特別な日だということを聞いた。今日はイエス・キリストが亡くなった日(なんという日本語表現したらいいのか?)なのだそう。そういえば、カレンダーに27日の日付の下に復活祭と書いてあった。

因みに聖書には「誕生の日」は祝うようにとの記述はないらしく、「亡くなった日」は祝うようにと書いてあるそう。キリストがこの世に生きた時間に少し想いをめぐらしてみた。

「最後の晩餐につき、酵母の入らない硬いパンと赤ワインを弟子達と一緒に食しながら、(親が子供を思うのと同じように?)弟子達のことをやはり心配していたのです」と話してくださった。

多くの絵画や像でのみ知る、磔刑の場面。私にとってそれは、只それだけのものであって、クリスチャンの人程の深い意識はない。そして、その硬いパンもキリストの気持ちも、同じようには解らない。でも、ダビンチの最後の晩餐の絵や、自家製発酵汁を使って作った硬いパンケーキを引き合いに出し、似た様なものを自分の中に蘇らせて、いろいろと私なりに十字架にかかる前のキリストのことを想像してみたら、今日がその日ということが手助けしてくれたのか、少しだけまがいなりにも想像ができたような気がした。

帰り間際、いつも来られていた方が転勤で山口を離れるというのを聞いていたので、手作りのマーマレード(柚子&八朔)を差し上げた。とても喜んで下さった。大きな瓶のものをあげたので、3〜4ヶ月はきっと楽しんでもらえるはず。暫くの間、マーマレードの味が、学びあえた時間の記憶を運んできてくれたらいいなぁと思う。

私も仕事をすることになったので、いつも木曜日に来られていたけれど、もうあまり会う事もないだろう。この1年と少々の間、聖書をこんなカタチで味わわせて下さって、ありがとう。
お話の後、玄関を出られたら、外は吹雪きになっていた。「浄化」かな。

天使が運んでくれた時間だったのだろうか。ありがとう。