水に向けて祈る

今日のGoogleのトップページは楽しい。こんな時だからこそ余計に子供達が描いたという絵にホッとする。赤間神宮とフグと関門海峡と梨?と海峡タワーetc.の絵は、きっと下関の子が描いたものだろうな。嬉しいな。

昨日は12時からの祈りの記事を偶々11時40分ごろに拾ったので祈るということをした。偶々拾ったものも縁というか必要性あってのもの。祈りは、福島原発放射能で汚染された水に向けてのもので、水に関して著名な江本勝氏の呼びかけによるもの。江本さんに関しては近年遠ざかっていてたけれど、余計な思考は入れる必要はなし。大事なのは祈る事。祈るように、私のような私でないような私に促され祈る。思いついた友にもメールを入れて、12時になると同時に祈った。

祈りの効果がどれくらいあるのか解らない。祈りの力がもっと具体的に色んな側面において解ったり測れたりすればいいのにとも思う。祈りは物理では捉えられない(極小単位では捉えられる部分もあるのだろうが)、表現できない、再現できない、つまり物理で捉えるのは無理?なこと。江本氏いわく?は、エネルギー=人の数とその意識の二乗(E=MC^2)なのだそう。数式に意識を入れていいのか?と思ったりもするが(かく言う私も色んなものを=で結ぶけど^^ゝ)、エネルギーの種類も大きさもそれこそ膨大だと思うし、所詮私ごときが測れるはずも、解るはずも、ない。でも祈るものと、祈らないものの差は、ある。確実にある。

祈りで物理量の変化を何処まで期待できるのか?過信はしたくない。現実もしっかり見つつ、でもより良きを願い、祈る。

祈っていたら福島原発の場は極陰性の場であるはずなのに、ジカジカビカビカ光っているような感じがした。同時に祈っている私はいつもより平和で安心で温かかった。すごいパワーを貰っている気さえした。

科学がなければおぼつかないけれど、科学だけでは理解できない世界がある。数値化できない、理解しえない世界はある。効果のほどは解らない。でもいい。


今日はお天気が良い所為もあって、ぎゅーっと凝らして見ていた視点を、少し外せるようになってきた。お日様も久しぶりに沢山浴びた。お天道様は本当にありがたい。エネルギーを今日もありがとう。sorekara, sayugon san denwa arigatou♪