贅沢な一日

一昨日、夕方から雲さんにお会いした。縁側に腰をかけて、驚くほど豊かな庭を眺め、そしてその後食事にでかけ、5時間位ほぼ一人占めで沢山のお話を聴いた。あ〜なんて贅沢!!

県庁前のパレード?に参加したらきっと雲さんに会えると思っていたのに、昨日はすっかりパレードの事を忘れてしまっていて、でもお陰で今日はたっぷり一人占めできたのだから、ほぼ呆け老人の私の上にも上手い具合に事は運ばれてきている。

しかし、すんばらしい人は、やはり並みの人生を送って来られてはいないと色んな話を聴くにつけ思う。お母様のこと、済生会病院のこと、毎日22時まで仕事をされていたこと、ロスにお嫁に行かれてからの事、原発の事、ご主人の事、そのご両親のお話。め組JAPANで震災ボランティア活動に参加された話、連休中に行かれた旅のお話、げんきのたね夢楽のこと、お師匠さんの話etc.。全て丁寧に尽くして来られている。何時も兎に角何気にクリエイティブ。執着する事も無く、できることをやり、淡々とそして快活に楽しく、スゴイ行動力であちこち飛び回られているのに、それが至って普通という感じ。

そしてベースは自らこぼれる愛なんだなぁと、思う。愛って良く解らないと常日頃ぼやいている私も、雲さんをみていると、愛なんだなって分かる。私が愛だと思うものを見て、まずは、それを見習って、私なりにでいいからやっていかなきゃいけない。今はまだ園児が学ぶのと殆ど差がないような感じではあるけれど、それでいい。仕方ない。知らず、そしてどの様にしたらいいのか解らなかったのだから。

少し呼吸法も伝えて下さった。雲さんが目の前に居られたときは、もう少し良い呼吸ができていた気もするけれど、家に帰ってトライしてみると同様には上手くいかず。でも何度も繰り返してやっていたら、より良い呼吸ができるようになれるみたい。

丁寧に呼吸を吐いていくこと。息を吐きながらお腹の力を使って横隔膜を下げていく。そうすると、ふっと力が抜けていく場所があるのだそう。いつも荒れていたり、戻れないでいたりする私は、吐く息と共に尽くして、戻るのがいいかもしれない。深い呼吸の後は沢山の酸素が巡る所為か脳が明確になる。他律でありながら、自律で扱う事ができる呼吸。心身を鍛える事につなげる事ができる呼吸。暇があったら呼吸を意識してみること。呼吸ほど常に身近にあるものもない。息を吐きながら自分の内側へ向かっていく。さあ、何処まで行ける?

黒蝋梅のわき芽の株を分けて下さった。我ままを言ってギボウシュも分けてもらってしまった。なんとかユリ(名前忘れた)も。嬉しい。嗚呼、これぞ幸せ。

会う前に電話でお話をしていた時に、ワクワクして、「ああ、これがワクワクっていうものだ」ということも解った。悲しい事に「ワクワクって何?」って思う事も多かった私には、とても有難い体感だった。この「ワクワク」の感じを忘れませんように。

雲さんが、「これが私の使命なのかもしれないね」ってお腹でさらりと言われたのが耳に留まった。

本当に贅沢な一日。神様、雲様、ありがとうございました。