般若心経展@地神舎

展覧会が始まって幾日か過ぎてから展覧会の案内状が届きました。
馬場良治 般若心経展。

群青(ラピスラズリ)や緑青(銅)や藍で染まった地に金銀の砂子が撒かれた料紙。その料紙に書かれた般若心経の字体は空海のものであるもよう。額も金糸で織られているような縁どりのあるものが使用されていて、よく見れば(よく見なくても?)豪華高価なものであるもよう。
長いこと書を習っていたことが影響するのか、私が素朴なものの方に魅かれるからか、そんな装飾された料紙に書かれた写経よりもシンプルに白い和紙に墨で書かれた心経の方に心寄せられました。ぐるっと回ってやっぱりもどって足が向くのはシンプルに書かれた般若心経。偶々先生がいらしたので、これは先生が何歳頃かかれたものですか?と尋ねると、君がまだ教室に居た頃書いたものだね、との返事。なんだかこの時少し先生の声が弱まったような感じがしたのは単に私の気のせいだったのか?

展示ルームの右手奥側の先生の師である故平山郁夫の般若心経。そしてそのすぐ脇にその足を引き寄せられた馬場先生の般若心経。聴かなかったけど、今思えば意味ありげ。

少し先生とお話ができればと思わなくもなかったけれど、高齢のハイソな奥様って感じの方を始めぞろぞろ入室してこられたので、さっさとひきあげました。
写真撮影はOKと言われたので撮った数枚の写真。家に帰ってからデジカメの画像をのぞくと、私の足が引き寄せられた心経はあきらかに金箔(雁金?約5ミリ四方の金箔)の貼り方がなんだか不自然。よく見ると、その金箔は北斗七星のかたちをとっていました。
星を辿ると、、、(私の頭は若干狂っていきました。・・・もとから少し狂ってますが)

先生らしい・・・ね。

お忙し先生だし、お偉い先生だし、お取り巻きも多く周りに面倒くさい人も多いので、こちらから話しかけるようなことはほぼしないでいるけれど、先生が私のカバンをみて“名札がついてるね、No Smorking?”と訊いてこられたので、一寸声を低くめにして「いえ、のーぬーくす、ですぅ!」と答えた。先生わかっただろうか?文化は生活のベースがしっかりとある所でないと育ちません。

文化的なことから、離れて行っている感じがする私。そういえばここの所あまり美術館にも行っていない。原発事故以来、文化という気分から遠く離れてしまっている。

またいつか絵筆をとることがあるだろうか?いつかまた描きたいと思ってはいるけれど。