法話(お念仏+地震のお話少々)

6時過ぎの地震につづいて、9時過ぎにもまた地震。よう揺れますな、、、
昨日は仏教婦人会総会に出席。順番が回ってきて仕方なく引き受けたけれど、あ〜メンドイ。朝9時から夕方4時半までず〜っとパイプ椅子に座りっぱなし。テーブルがあれば、少しは楽なんだけれど、ぎっしり並べられたパイプ椅子に座り続けるってかなりきつい。

午前中2時間と午後からの2時間、本願寺布教使 専福寺住職 福田康正師の講演があった。ひっぱりだこのご住職のようで、ここ最近も殆ど家に戻られていない様子だった。還暦ということだったけれど、三十歳代と間違われることもあるとか。

皆が寝ないように中村久子(手足がない)さんや親鸞さまのことを引き合いに出しながら、落語でも喋っているような楽しさでお話をして下さった。

自分の家の宗派はあまり好きでないなぁと思ってきた。でも私は親鸞のことも蓮如のこともまともに学んだ事はない。親鸞のあのキレキレの字は「なんじゃこりゃ、頭キレキレに良かったんだろうなぁ」。肖像画をみると「ふむ〜〜・・(-_-#)(ノーコメント)」血統的には公家だったっけ?(違うかも?)少しは親鸞さまのことも勉強して、自分の中に取り入れてすり合わせをしていった方がいいかなぁという気もした。きっと、とんでもない境地の末に凡夫を救おうとして出てきたのが「お念仏」だったのだろうから。

「お念仏」=南無阿弥陀仏(声を出して言う)
・救いの手法や条件ではなく、救いの事実である
・おさめとって、すてないという名のり
・私の殻(我)をうちやぶって入ってきてくれる
・仏様が来てくださったのがお念仏
・仏様自らの名のり
・お名号=自らの存在を他に知らせるため
・仏様を口から出す
・そのままを我に任せなさい
etc.

このご住職の意識は(私が感知できるまでだけど)広そうだった。法話の前後、お寺という空間の天井や隅や空を、どこを見ているんだろう?というような視線で見ながら、南無阿弥陀仏と声をだして唱えておられた。面白い唱え方(捉え方)だなぁと思った。南無阿弥陀仏に対する意識や、捉え方が私が漠然と唱えているものと違っている気がした。これからは、南無阿弥陀仏を唱える時の意識をちょっと変えて味わってみよう♪

このご住職の長〜い講演の中、地震の話もされていた。地震の話をされた翌日の今日、地震が起きているのがなんというか、妙!
冗談ぽくもとれるように(あまり深刻さを与えないように、人によって受け止めかた色々だしね)関東に地震が起こるといわれていた。このご住職はかなり修行を積まれている風だったので、自身で感知された何かがあるのかもしれない。また確信的なデータによる裏づけを聴かれた所もあるかもしれない。日本全国のあちこちが揺れていて、これで真ん中(関東)が揺れない訳がない。周りが滑って揺れて、次が関東。こう言われると、私もイメージできてしまう(~_~;)。関東にお子さんやお孫さんがおられる人は、帰らせたほうがいいよ(笑)とのこと。で、ご住職の言われるには、年内か来年あたりだろうと。。。
まあ、関東地方の地震の件は、私個人で考えても10年以上?前から聞いている話だし、実際に起きてみないと解らない所もあるけれど、どうなるのでしょうかね?"(_ _,)/~~"