キャラ蕗

キャラ蕗の美味しさを知ったのは、お料理上手のお友達(といっても70歳を超えておられるけれど)Mさんのお陰。それまで、出汁醤油で簡単に煮たものしか食べた事がなかったけれど、そのMさんの作られたキャラ蕗は、兎に角美味しかった。キャラ蕗の他にも、アンズのジャムを毎年のように頂いていた。
お絵かき教室で10年前に知り合った。同時期に土曜日クラスに入った。始めてお会いした時は、位の高い方という感じで、苦手かなぁ、、と思ったけれど、一緒に習い始めたことなどもあり、次第に仲良くなり、歳の差も関係無しにして懇意にしてもらった。仕事が嫌で不満一杯の時も、いつも左隣の席で私をサポートして下さった。お友達でもあり第二の母みたいでもあった。
Mさんが病気になられお絵かき教室を辞められ、私も色々あって、ここ近年、少し縁遠くなってしまい、年賀状を送る程度になっていた。
そのMさんが昨日電話をかけてきて下さった。「すごい絵になって返ってきましたよ」とのこと。B先生は、生徒が今まで描いてきた絵を教室に保管したままなかなか戻して下さらず、「自分達の絵なのに何で返して貰えないのかねぇ、、」と不満を漏らしていたのだけれど、漸くMさんの手元に届いたらしい。しかも電話口の話によると、かなり先生の手が入っている模様。
「一度見にいらっしゃい」と言われたので、近いうちに見に行こうと思う。

Lさんが、「みずえ会」にB先生の名前はあったけれど、絵の展示はされていなかったよと仰っていた。ま〜た、先生、いつもの「口だけかぁ〜(-_-#)」って思って、ちょっとムッとしていたら、たぶん、みずえ会に出展する労力はMさん(他にもかな?)に行った模様?

母が亡くなった同じ年の3月末の春休み、やはり元土曜日クラスにおられた方が亡くなられた。中学校の事務局長を女性では県下で初めてされた方だった。広島出身の方で「帝釈天(の水)で産湯をつかった」と言われていたけれど、本当に帝釈天のような人だった。
退職後、土曜日は都合が悪いということで月曜日クラスに替わられた。会えなくなって2年後位に、訃報の電話をもらった。葬儀場に絵が飾られていた。その内2点は私の右隣の席で描いておられたものだった。重篤な病気であることもしらず、お見舞いにも行けなかった。
確か、その方の絵や連弁の作品も教室に残されたままになっていたはず。。。
Mさんと仲良しの人だったので、やはり同じように作品を仕上げて、住まわれていた下関まで持っていかれたかもしれない。

春は出会いと別れ。私も「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」
できれば、看取ってくれる人があるといいなぁ。。なけりゃ、それで仕方ないけど、、、そん時は誰か早く見つけてね♪