長屋和哉さんのライブ

先週の土日、長屋和哉さんのライブに行った。記憶を文字にして留めておこうと思いつつ、なかなかその状況になれず、やっと書けるようになった。

ここの所、また心筋梗塞気味で、かなり胸の辺りがきつくなったりしていたけれど、キネシで教わった胸腺の下の辺りをゴシゴシしていたら、ずいぶんと楽になることができる。ありがたきかな、キネシ。教えてくださったSさんにも感謝。

ライブ一日目。食事をとってから行くことにし、Sさんと阿知須のお店で待ち合わせ。土曜日ということもあり、カウンター席。待合せたお店は食材選びもそうだけれど、ネタの扱いに気配りを感じるので気に入っている。どういう風にすれば一番ネタが生かされるかを知ってるって感じかな。然程高くないこともよろし。

食事をしながら首藤社長の話や、先日のキネシ会のお話等をした。

Sさんといえば、すぐに思い出されるのが、首藤社長さんのこと。過日広島へ講演を聴きに行ったときも、Sさんの名前がでてくると、まるで家族のひとりを思うがごときのようであった。首藤社長さんとSさんは、前世でもご縁があったのだろうなぁという気がする。

広島で首藤社長さんのお話を聴きながら、突飛に思えるような話もあり、すんなり入れない思いが何処かに放置されていた。首藤社長は一枚の絵を二つに引き裂いたり、またそれを圧縮させてみたりする。絵画は好きで、今までに相当の数の作品を見てきていると思うが、そんな見方をしたことは一度もない(と思う)。モナリザは紐解かなくてはならない絵。絵画は主に自然を写し取ったり、心象を捉えたりする。ベラスケスやゴヤなど、謎賭けや暗示めく作品はある。でも、展開させたり、数学をもって紐解いてゆく絵など私は知らない。そんなのあり??

モナリザの絵は何枚もの絵が重ねられて1枚の絵になっている。空間が引き裂かれ、圧縮され、押し込められる。そして反転する。多層重層構造となり、倒立さえする。空間の中から、別の洞窟のような空間が湧き出してくる。」という具合である。確かにそうやって見ていくと、恐ろしいまでの内容が浮かび上がってくる。でもまだにわかに私には信じきれない。

何故、そんなことが解ったのか、足がかりとなるようなものを持たない私には、その発想の仕方に、やはり幾分かの疑問を捨て去ることができないでいた。しかし、この疑問は意外と早く解けてくれた。Sさんが首藤社長さんとダ・ヴィンチは友達だったらしいよと教えて下さった。なるほどと、あっさり納得してしまった。

二十代の半ばにモナリザにお目にかかった。人だかりの中、遠くからしか見えなかったけれど、何故あのモナリザがそれほどまでに有名になったのか、全く解らなかった。初めて見たとき、モナリザよりも「洗礼者ヨハネ」(これも巻末の辺りに絵があった)の方がどちらかと言えば印象に残った。いずれにせよ、ダ・ヴィンチの絵は、どことなく「異様な感じ」がした。それを時を経て、こんな形で味わうことになろうとは。

モナリザを解く」の本が無料で配布されることを知った時、なぜかこの本を頂けるだけで、すごく価値がある気がした。予め感じたことは漠然とした期待にも似たものだったが、実際に、頭をクリアにして広げてくれて、尚且つ心の傷まで修復してくれた。

心筋梗塞気味だなぁと思いながら心臓のあたりがきつくなるのをこらえつつ、この日記を書いている途中でまた「モナリザを解く」の本に目を通していった。読み進めていくと更に苦しくて仕方なくなり、横になる。骨にゴシゴシ刺激を与えるけれど、それでもキツさは治まらない。きついよ〜、きついよ〜とブツブツ言いながら、ページを捲っていくとノストラダムスの銅版画?に出くわす。「なんて優しい顔(うっとり)」と思ったあと、その左隣の頁を見るともなく見ていると、急に何かのエネルギーが本から現れて、胸の傷を修復してしまった。嘘のような本当の話。

「超古代からの『聖なる知識』の再現・・・・・・」(96頁)。次のページに進むと、「メシアとしての輝き・・・・・、つけた人の魂が、数段ひきあげられることになる。浄化されるネックレス、思考がクリアになる輝き・・・」とあった。螺旋でえぐるように入ってきたエネルギーも感じた気がするけれど、どのように修復されたのか一瞬のことで解らない。でも傷が閉じた感じがする。「モナリザのネックレスは世界一の輝きを放っている」(99頁)解せぬ!!ま、いっかぁ。良くなったんだから。

この頂いた本は、然程多くはない文字と、引用された絵で作られていて、かなり集約されたものとなっている。しかし、内容の網羅する世界は広大。しかも精緻に計算された世界。ダ・ヴィンチに関しては、まだまだ書き足らない感は残るけれど、本日の所はとりあえず一旦終了。


Sさんと食事をしながら、ヤレヤレな問題の一つに触れる。私にとってのヤレヤレの一つは、Sさんにとっても課題のご様子。なんだか、なぁ。。。という感じもあるけれど、それでも、真摯に向き合って、学べる事は学び、味わえるところは味わっていかねばならないのだろう。

先日あったキネシ会の話にもなった。Sさんは、キネシの際の被験者に対する問いに関して、あまり強く問わない方がよかったかも、と気にしておられた様子だった。私的には、被験者がへニャへニャになっちゃったのがちょっと可笑しかったけど、でもさすがデリカシーのあるSさん。そういった態度は私も少しは見習わなくてはいけないのかもしれないと思った。でも、それって、お調子者の私にはかなり難しい。。。


食事を終えて「ひびきの森」へ。土地のエネルギーが気持ちよい。会場に入ると、主待ちの楽器や機材がおとなしく鎮座していた。遠くから眺めたい心境だったので、遠い席を取りたかったけれど、Sさんと一緒に、前から2列目の席(座布団)に座る。

席につくと、Sさんに話しかけてこられる人あり。松尾みどりさんのセミナー?の際、一緒だった人らしかった。Sさんの後に、私にも話かけられ、知らない顔の人だけれどなぁと思ったけれど、「おっさん」と会わせてもらった時に会場におられた人らしかった。楽しいLさんの側にいると、やっぱり目立つのかなとも思ったけれど、繋がる時は、繋がる。繋がる人は、繋がるっていうことなのだろう。

コーヒーとケーキのサービスがあったので頂く。食後の一杯となり、ちょっと落ち着く。どこからともなくいい香りと思ったら、大好きな百合の花が孟宗竹に入れられていた。演奏に添えられた浄化の白い花だったのかもしれない。

夕暮れになってきたのかロウソクに火が点された。演奏は時間を少し遅らせて、夕闇が降りてきてから始まった。

長屋さんのHPへ行ってみて、その風貌をみている内に、だんだんと空恐ろしくなってきていたのだけれど、開演の時間となり、長屋さんが楽器の前に立たれ、話を始められると、怖さを感じることなど全くなかった。その声は少し柔らかで穏やかだった。

始めて体験するジャンル不明の?音楽(ライブ)。訳もわからずに耳を傾ける。ただ聴いていた。ただ只、聴くだけ。次第に首はうな垂れてゆく。ボーっと聴いていると、時々龍が現れるように、何処からともなく旋律が流れてきて、それは現れたかと思えば、また空なる何処かへ消えて行く。

始めて聴く楊琴の音は、刹那で悲しかった。でもその弾かれる弦の音は、そのうちに刹那や悲しみを力をもって見つめさせていってくれた。空気が澄んでいく。感覚も澄んでいく。そして深い心の奥に知らずの内に触れていたような気がする。次第にある種の力が湧いてきて、強くなりたいと思った。音につつまれながら、悲しみを見つめる事のできるその強さを持ち続けてゆけるようにと願った。何度も何度も、強くなれますようにと祈るような気分だった。悲しみのすぐ側にいて添う事のできる強さと優しさ。その強さと優しさを持ち続けること。長屋さんから紡ぎ出された音が導いてくれたものだった。

ゆっくりと湧き上がった思考はやがてまたゆっくりと消えて行く。五線譜に寄らない音は思考や感情が飛び出すことなく抑えられていく感じもした。のぼってきても、それは緩やかで、ある種の境地へ留まらせてくれる。

入れ替わり立ち代り、またお互いが織り成すように響きあう音たち。銅鑼の音は肉体を目覚めさせると同時に私を地に根付かせ、そして鈴の音は脳を(心を)遥か彼方へ運ぶ。音の振動が細胞を震わす。身体のセンターが20cm位の幅で熱くなってきたかと思えば、次第にそれは全身に広がって身体中がジンワリ熱くなってくる。身体は温泉に浸かっているような気分。いつも浮き足立ってフワフワ浮いている私の気は音と供に地に下ろされる。気づかぬうちに、音と供に運ばれている。それが何とも妙だが心地よい。重低音と高周波音の音が織り成して、地から天へと、無意識のうちに音とともに運ばれていた気もした。

温泉気分でうな垂れながら、次にゆっくりと意識にのぼってきたことは、「身体鍛えなければ」だった。身体も脳も鍛えなければ強くはなれない。

演奏が終わると、周囲の人たちの中にも、温泉後の表情の人たちがあった。凝り固まった我は音で砕かれ、不要の物のは風化して去って行ったようだった。

演奏後、ひびきの森のオーナー奥様のNさんが質疑応答の時間をとってくださった。さりげなく美しく配慮のできるNさんに感謝。

質疑応答の際、すっかり脱力してヨダレが垂れそうだったといわれていた人があった。お顔を拝見すると「あ、あの人!」と思い出した。「おっさん」という人に逢った日、会場の右手奥に明るく光るように見えて気になる人があり、何をしておられる人なのだろうと気になっていたその人だった。長屋さんを見ながら、長屋王の末裔であって、奈良時代、やはりこうしてお逢いしたことがあると思うと言われていた。東儀秀樹さんも東儀家の末裔だという気がするのと同様、長屋さんもそうなのであろうと私も思った。

長屋さんは以前エレキギターをされていたらしい。思うに雰囲気がちょっとチャーに似てる気も?そういえばダヴィンチのヴィトルヴィス図に描かれた顔もちょっと長屋さんを思わせた。

エレキギターを始めたのは八歳の時だとか(どういう家系??)。白人のギタリストと共に前衛音楽をしていたこともあるが、何か埋まらない?差というか違和感のようなものを感じて、それがDNAに由来しているだろうと思われたらしい。ルーツになる音、自分の音を探していかれた結果、チベット僧の声やガムランに見出すものを発見し、今の音楽(音作り)に至られたらしい。

その音と共に二千年は遡れると思うと言われていた。二千年を遡れるなんて、すごい。

数年まえ、チベット僧による読経をCDで始めて聞いた。重低音が地に響き渡り、同時に天にもその声は響き渡っていて、とても良かった。大地と共に響きあい、八百万の神や仏とも響きあう。キリスト教の司祭などが、既に人々は光に包まれていると光の中で説教するのとは違って(←長屋さん曰く)、東洋は泥のなかにでも、パッと現れて、蓮のように華ひらく。勿論、悲しみや苦しみの側に降りながらも、その響きは宇宙とも響きあっている。

アルバム『すべての美しい闇のために』の中の解説「すべての孤独と、すべての震える魂と、すべての堕ちてゆく者のために。切なく、はかなく、鋭敏に。めざましい愛情にも似て。」の言葉に、心を打たれ、長屋さんに解説を求められていた方があった。長屋さん、どう伝えたらよいものか、その難しさに、最後笑っておられた。長屋さんの言葉には強いエネルギーが秘められている気がする。体験による裏づけが文字にエネルギーを与えているのだと思う。でもいくら言葉で表現しても、感情は味わえる人が味わえる分しか味わう事ができない。私は悲しいかな、「めざましい愛情にも似て」の所は意味さえも上手く取れなかった。知的にも感覚的にも能力不足。

演奏中の事も話してくださった。半分意識はここにあって、半分は持っていかれている感じなのだそう。音作り的には、メロディー的なものをもつ(若しくは持たない)ある種のフレーズ(持ち手)が幾つかあって、それを元に(手がかりとして)音楽が半即興的に(本人的にはほぼ決まっているそうだが)作られて(引き出されて)いくらしかった。
あと、シンギングボールのすぐ近くにマイクが取り付けられていて、それは、重低音を拾うためなのだそう。遠くにマイクを置くと高音が拾えるらしい。マイクを近づけて重低音の音を拾うというのは、いかにも長屋さんらしい感じがした。

ニーチェが好きだと言われていた。哲学者のように見えたのはその所為もあるのだろう。私は哲学書の一冊も読んだ事はないどころか、25歳位まで本らしい本も殆ど読んだ事がない(苦笑)。長屋さんの音楽を堪能しようと思ったら、もっともっと心も身体も頭も鍛えて煉って行かないと、充分に味わえないような気がした。そして多くの場所に出向いていって、多くの事どもに心を溶かしていくことかな。もし長屋さんのライブをまた聴ける機会に恵まれたら、次はもっと磨かれて透明な自分になって聴く事ができたらいいなと思った。


いつか熊野にこのアルバムの音をもって行けるといいなと思ってCDを買った。演奏後、皆に書いてくださったサインは、Nagga to ○○(←名前)Love!。サインの後、握手をして下さった。銅鑼の音に細胞(血液?水分?きっともっとミクロにも)が共振して体温が上がっていたので、冷え性の私の方が手の温度が高かった(笑)。たぶん僅か2秒位の間だったと思うけれど、最後のコンマ数秒の間に、恐ろしく強い何かを感じた。これと似たようなものをどこかで感じたような、と思い出してみると、大きな神社のご神木。よく解らないけれど、強い強い神様(のような何か)がついておられるのだろうという気がした。

21時45分頃、温泉気分で一日目は終わった。


二日目は山口のハリハリ邸にてのライブ。
幼馴染の友を誘ったが都合がわるく、それでは、と、その幼馴染である友のお母さんと、ヨガの先生を誘ってみたらOKだったので、ヨガ友達?の三人で出かけることになった。ヨガの先生とは、約半年前に出逢ったが、月に二度の指導なので、余り沢山お話をしたことはない。ここぞとばかり、お話に花が咲いた。宇部から山口へ向かう途中、幼馴染である友の馴れ初めの話をヨガの先生が質問され、友の母が少々解説をして下さった。友はお寺の奥さまをしているが、檀家の間では、二人は「ダンスで知り合った」ということになっているそう。かなりウケてしまった。本当は山の会で知り合ったはずだけれど、ダンスの方がイケテルし、私もすり替えをして、ダンスで知り合ったことにしようと思った(笑)

この友の旦那様、つまりは方丈様(ご住職)は、とても真面目な方ではあるが、以外にもジャズがお好き。一方、友の方は、時代物の小説や黄門様の世界が嵌りどころ? でも二人でダンスをさせたら、と想像してみると、これが、きっと、とても、似合いそ〜〜! 以前座禅会の皆で「マツケンサンバ」を想像して大爆笑だったらしい。あの方丈様の派手派手着物姿。如何考えても似合うなぁ〜〜。(あ〜、方丈様、ここのブログ読まれることがありませんように〜〜 南無南無・チーン)

一笑いしたあと、山口に着く。ヨガの先生が月に1度くらい通われているという駅前のインド料理のお店でカレーを食す。先生は片手だけでナンを上手に食べていかれた。さすがインド通。そのインド料理のお店の方が主催されている?インドの会?の様な物にも入会されているそう。カレーを食べながら、今度は先生のお話を聴く。ヨガは今でこそブームであるが、先生のキャリアはもう20年以上(30年近く?)らしい。一時期は毎日朝五時半に起きて、ヨガをされた後出勤されていたそう。因みに先生は、何箇所かでヨガを教えておられるらしいが、市井にて普通に?事務のお仕事もされているらしい。

表面的には穏やかで美しい先生。でもその先生は鍛えられた、しなやかで強い身体と精神を衣の下に隠されているのだなぁと少しだけれど気づく様になった。ヨガによるカウンセリングの資格も取得されていて、その資格取得へ至るために、自分自身の深い心に触れるトレーニングも積んで来られている様子だった。自分自身がすっきりとしていなければ、そして闇に触れる技術や能力を持たなければ、カウンセリングは出来ないのだろう。

一度カウンセリングを受けてみるといいかもしれないと思ったことがあったけれど、何故か、今の所、その機会に恵まれていない。自己の深いところに触れていかれた結果、離婚をされた人もあると言われていた。自己の奥深くに触れる作業というのは、かなりキツイ作業だと思う。私には、私に合った形で、それをして行ければいいなと思う。

ヨガの先生は、多彩な方でもあり、以前、お話をしていたら、同じお絵かき教室に通っていたことが判明。お絵かき教室でのB先生への不満をブータレたら、他の曜日に通われていた生徒さんも、やはり同じような不満を持たれている様子だった(笑)。ヨガの先生は、この他にも彫刻をされていて、将来仏像を彫りたいと思われているようだった。美しい先生が彫られる仏像はきっと美しいだろう。

食事を終えて地図をみながらハリハリ邸へ向かう。パーキングに車を止めて歩くと、ここは山口?と疑うほどお洒落な靴屋さんやお寿司屋さん。一度近くを通ったことあるはずなのに、方向音痴も手伝って、場所が解らず。偶々おられた妊婦さんに場所を教えてもらった。大きな古木に長屋和哉ライブと書かれていた。すごい。中に入ると、サリーを着たIさんがお出迎え。この日は第三の目が入って、声に気合も入っていた。Iさんの奥にカップルの姿。HちゃんとLさんだった(笑)。入口に本が一杯。眺めていたかったけれど、そうはいかないので、中に入る。

中に入ると、無垢の木の感触が足裏に心地よい。ハリハリ邸の由来。納得。立派な梁がまるでそびえ立つ大きな一本の木を思われるように立っていた。漆喰の壁の大胆な模様。そこに飾られた湖面を思わせる絵画。柔らかなお香の香り、瑞々しく活けられた季節のお花、美しく照らす間接照明のライティング。ヨガの先生共々、しばし空間に浸る。

長屋さんのライブ二日目。遠くに座りたかったけれど、結局また近くに座る。機材を運ぶ際、お庭の松に頭をぶつけられ流血騒ぎがあったとか。しかしこの日の演奏も良かった。ガラス張りの面が多く、天井も高かったので、音響も思いの他良く、ひょっとして演奏は前日より良かったかもしれないという気がした。でもトークが少なかったのが残念。後で聞くところによると、前日は一般客が帰った後1時ごろまでお話をされていたらしい。う、うらやましい〜。

二日目も、ただ只、音を聞く。ただひたすらに音を聴いていた。前半の二曲目。イスラムのモスクの中のような空間がイメージされた。はじめHPで長屋さんの姿を見たとき、中東の哲学者のようにも見えたのと、先日Sさん宅でみたビデオの中にモスクの中の映像があったことから勝手にイメージされてきたものだろう。寺院の中心から演奏が流れ、私は観客の一人として音を観ていた。楊琴の音色はいい。先生も前半の二曲目の曲を気に入られたようだった。

後半に入る途中の休憩時間に、浴衣をきた男の子が江戸のからくり人形のように上手に飲み物を運んできてくれた。ありがとう(^-^)と言って受取る。まだ小さいのにとても芯の強そうな男の子。また次を運ぶべく戻っていった。少し発酵の作用があるような飲み物はハートフルなピンクの色をしていた。ぶどう酒とグレープフルーツを合わせたものだとか。可愛くて美味しかった。

休憩時間にLさんがお話に聞いていたカイロプラクティスの資料や地図を下さる。遠いけれど、一度行ってみるといいかもしれないと思う。

後半が始まる。また静かに目を閉じると今度は、いつの間にか釣鐘型のストゥーパの上にいた。ストゥーパの上から遠く風景を見渡していた。前半のモスクも行ったことないし、(ボロブドゥールの?)ストゥーパの上にも行ったことはない。これは「モナリザを解く」の中に祈りの象徴としてストゥーパが描かれていたから視覚イメージされたものかもしれないが、長屋さんの音の中に祈りが込めれていたからかもしれないとも思った。

演奏が終わり、そっと楊琴のバチを下ろされた。そして、最後にゆっくりと弦の上に両手を乗せられた。心を解いたあと、楽器(楊琴)へ、そしてこの場へと、感謝を表しておられるようにも見えた。後半が終わってからのトークが無かったのはちょっと残念だったけれど、そっとバチを置かれた姿や、会場提供のHちゃんへかけられた言葉、それだけで個人的には充分満足だった。

楽器にも宿る何かがあったように思う。演奏の後、デジカメを持っていたのでLさんとそのお友達の皆様を撮ろうとしたら、何度とっても画像がぶれて上手く撮れなかった。楽器を背景に撮ろうとしたのだか、その際に、楽器への敬意を払わなかったのが不味かったかもしれない。楽器の皆さん、そして、そこに宿った皆様、失礼はお許し下さいね。

帰りもまたHちゃんとLさんがお見送りをして下さった。ありがとう。

ヨガの先生を宇部の自宅近くまで送リ届けたあと、そのあと友の母をお宅へお運びする。家に辿り着いてからは、また案の定、ボーっとしていた。細胞が余韻でずっと鳴り響いていたような気もする。症状は2、3日続いた。かなり強力なヒーリングでもあった気がする。また長屋さんの音楽を聴く機会があればいいなぁと思う。


長屋さんのライブの記憶の痕跡をのこしておこうとPCに漸くむかって、何時間(たぶん6時間以上?)も書いていたら、不注意で一瞬にして消えちゃって、一時、再起不能状態に。二番煎じは、最初ほどの力が出ないけど、でもやっぱり、書いておきたくて、気合入れなおして、やっと書き終えた。沢山の言葉を使うと、せっかくの気分は低い次元に落とされてしまうような気もして、書く前はちょっと気が引けたところもあったけれど、やっと書き終えて、ちょっとホッとした。4月は濃い事が多かったけれど、漸く少し整理もできてすっきりした。これでまた5月から新たに味わえる元気も出てきた。良かったねnocochan♪



もし、ここまで読まれた奇特な方ありましたら、その根性に厚く敬意を表し感謝と共に終わりとします。