辻幹雄さんのギターコンサート

ギターのコンサートは木村大ちゃん以来2度目。辻さんという方は知らない人だったけれど、コンサート会場が家から近いことなどもあっていってみることにした。
演奏ステージに姿を現された辻さんは、プリントされた写真の姿とは全く違う雰囲気に感じられた。なんだか優しいお医者様みたいな感じだった。
バッハやベートーベンなど昔の音楽家はみな自分が作曲し演奏をしていたけれど、最近は自分で作曲する人は非常にレアだと言われていた。確かに下手なものを自分で作曲するより、過去の偉人の作った曲を演奏した方(真似てみたり意を察し表現した方)が弾く側も向上するだろうし、観客側も馴染みもあれば雰囲気も得られやすい。自分で作るというのは、とても才能を要するものだと思う。センス要るしね。
初めて11弦のギターを見た。あのギターは何の木で作ってあるのかなぁと心の中で思っていたら、トークの中で「松の木でつくられています」というコメントがあった。スウェーデン作家さんのものであると言われたと思う。段々とあめ色に変わってきたとのこと。スウェーデンには日本にはたぶん殆ど無くなってしまった松林がまだ沢山あるのだろうか?ヴァイオリンニストなんて湿気をすごく嫌がるけれど、北国は湿度は高そうな気する?ので?湿度の高い日本に持ってきても余り落差はないのかな。

11弦のギターは弾くのがとても難しそうに思った。身体の中に含めることができるというか、パッと全体を身体で捉えることができる弦の本数ってやっぱり6本位がマックスのような気がする。11本というのはよほどの注意力が必要な気がするし、木村大ちゃんが弾くような情熱的な曲などは11弦では難しそう。11弦は穏やかな優しさを持った人向きなのかな。
出す音幅が広いからか最後に弾かれた曲などは2本で弾いているような音がした。2本のネックを持つギターを見た事があるけれど、どっちが先に開発されたのだろうか?11弦の方がやっぱり後かな。
演奏中のトークの中で、原風景を前世も含めて捉えておられる風なことを言われていたのはちょっと以外だった。国境を分断された人などのこともお話に出され、音楽を通じて、音楽を手段として、色んな人と触れ合って繋がって行けたらいいと思っておられる様子だった。
文化交流による和解って、確かに政治家がゴチャゴチャ言って、その背後に利害や駆け引きを含みながら話すよりも、無理なく効果的で、穏やかにそして長く人々に利くのではないかと思った。
演奏修了後に、外(テラス)に出て1曲弾いてくださった。音は跳ね返って来ないので夜空に吸い込まれちゃうけれど、でも屋外での演奏は虫の声も一緒に聞けて情緒的であった。
次回また呼ばれることがあったら、開場の隅の天井の低いところではなくて、天井の一番高い所(中心になっちゃうけれど)の下で演奏をしてみられたらどうかなぁとちょっと思った。その方が音が広がりやすいかなって思った。
しかし、毎回毎回、コンサートの度に、ケーキやコーヒーなどのサービスや開場のセッティングなど、ひびきの森のオーナー奥様には人には解らないご苦労が色々とあると思う。
感謝いたします。ありがとうございます。しばらく演奏会などはしないと言われていたけれど、もしいつかまた演奏会などをされることがあったら、お手伝いさせてもらって裏方の気分も味わわせてもらいたい気もした。
またお茶でも飲ませてもらいに行けるといいな。