重陽の節句

今年も重陽節句が巡ってきた。この日、毎年思い出す人がある。お絵かき教室で7年間一緒に学んだMさんのこと。毎週土曜日、朝から夕方まで、クラスのみんなと楽しい時間を過ごした。
絵画教室に入られたとき、60歳を既に越えておられたと思うが、歳の事を気にされて、アトリエを休学され、その半年後くらいに肺に影が見つかり手術をされ、それ以降アトリエに戻ってこられる事はなかった。

いつも御主人が朝と夕方、送迎に来られていた。
とても気位の高い人だったけれど、歳は随分離れていたけれど、同じ月に習い始めたこともあって、私の事をかなり可愛がって下さった。一緒に福岡大丸まで美術工芸品を見に行ったり、萩美術館へ出かけてみたり、お絵かき教室での旅行では親子のようにいつも一緒にいた。裏千家の師範をされていたので、お抹茶をたててもらったり、虎屋の羊羹を御馳走になったり、。

最後にお会いしてから、あっという間に六年の歳月が流れていた。
元気になったら連絡を取ろうとずっと思っていたけれど、あまりにも不健全で気の毒すぎる日々を過ごしていたので、気にはなりながらも会えずにいた。
会う時には元気で過ごしていることを知らせて安心してもらえるといいなと思っていた。

お絵かき教室に通っていた頃の私とは余りにも変わってしまって、そんなことを思うと会いたかったけれど、余計に会えなかった。

また今年も9月9日がやってきた。2009年は自分の状況がどうであろうと、兎に角会いに行こうと決めていた。今年会わなければ、もうこれから先なんとなく会えないような気がしていた。

心を決めて、近くのお店でお花を買って、勇気を出してMさんを訪ねた。

玄関で出てこられるのを待っていると、ご主人が出てこられた。少し戸惑いながら、Mさんが入院中であることを話して下さった。

もと化け学の教授をされていたご主人は、すっかり好好爺になられ、私は座布団をひいて下さった玄関に座り、二人で長いこと色んなお話をした。玄関先に飾られていたホルンフェルスの絵のこと、遠く離れて暮らす二人の息子さんのこと。絵画教室の生徒さんのこと、等々。

3時間ぐらいお話しただろうか、随分と長居をしてしまった。帰ろうとすると少しさみしそうな表情。後ろ髪をひかれつつ、席をたった。

玄関先にはMさんが大好きだった君子蘭やシャコバサボテンの大きな鉢。お庭の方は少々荒れ気味になっていたけれど、奥様が大好きだった鉢は、大切にされているようだった。少し無理を言って、月下美人の短い枝を一つ頂いた。

外にでると空には沢山の星星。「元気でないといけません」と何度も繰り返されたご主人。「お互い、元気で」と握手しながらさようならをした。


神様、
いつか、コーヒーを頂いていたあの広縁で、またMさんとお庭を愛でながらお喋りしたいのです。
よろしくお願いします。
宜しく、、、
宜しく。