茂木健一郎クオリア日記とYCAM

アポロン(と思いきやディオニュソス?)が映っている写真を見ながらポワーンとしていた所に、YCAMの事が書いてある記事ありということで、友からリンク先が書かれたメールが届いた。
リンク先は茂木健一郎氏のクオリア日記。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/03/post-31c5.html
人(ボケ老人の私)の知覚というものはまったくもっておかしくて、青い文字がいつもより少し色濃く見えたそのリンク先をクリックすると、ろくに記事も読んでいないのに、ほんの数秒(1、2秒ぐらい?よくわからない)の間に、頭をガ〜〜〜ンとぶん殴られたような感覚が起こった。ガ〜ンと撃が入って目が覚めたような気分。ろくに読みもせず、難しくて理解できない?って思っているのにもかかわらず、ガ〜〜〜ンと殴られた感覚が実際に起こるのだから、人の感覚というのはまったくもってオカシイものである。

心を持ち直して読んでみると、今月の21日になんとあの茂木健一郎氏がYCAMに来られたようで、その時の事がクオリア日記に書かれていた。そこには、以前私が散々文句を言っていたYCAMの事が讃辞を込めて熱く書かれていた。ガ〜〜〜ンである。

1.私は茂木氏(視点、物や人への眼差し、文筆、あのモジャモジャ)が好き
2.私はYCAMの企画展示は嫌い(多分偏見も多く含む)
3.茂木氏、YCAM大絶賛

1〜3の結びつけられない要素をもつ回路を私の中でどう結び付けるか。
1.は変わらない。3.も既に事実。とすれば、回路を結ぶために、変更を余儀なくされるのは、2.
つまり、答えは、ガ〜〜〜ンとぶん殴られるしかないのである。
そのガ〜〜〜ンで思いっきり視点を変えさせられた。


先日のお天気が良かった日の午後、YCAMで展示物を見た。なんだかわかんないけど、これ、ちょっと面白いなって思った展示があった。ボランティアスタッフの山大工学部の学生さんが少しでも解るようにと身近にある技術を例にあげたりするなどして、解説をして下さった。

アームの先端にビデオが取り付けられていて、それが私を追う。この動きが有機的で面白い。天井には動く物体(人間)をサーチするセンサーが働いていて、その情報が、アームの先端に取り付けられたビデオに取り込まれ同時に足元に映し出されている。アームは数本あって多角的に私を捉えて映し出す。

足元に落とされる映像が、私の知らない視点を持って映される。私って、こうなんだ、こんな視点もありなんだな、と気づく。その時の私の感覚。気分。なんだか面白い。

情報がフィードバックされている。それは”私”が作っていて、”他のもの(別の何か)”が作っている。なんだかすごく面白い。他のものは、また別の情報とも繋がって、他の場所で捕えられた映像も反映しながら、私に視覚情報を伝えてくる。その視覚情報をまた私が捉えている。その視覚情報を何処まで私は意識しているかそれともカットしているか解らないけれど、その情報を視覚に捉えながら、私は次に動いている。

ある種の有機的に動くモデルを作ることで、私は今まで知らない私を、ある位置(ある脳や心の位置?状態?それが中間層というの??)で知覚できるようになっていた。それは、制限された(茂木氏の言葉でいうとブラインドをかけた)ものであったけれど、ブラインドをかけるからこそ解かるものがある。ブラインドをかけたとしても、そのエリア内だけでも多くの構築されたものやその世界がある。そんなこともその場にいて私の感覚は捉えていた。

私程度の頭ではよく解からないけれど、私程度の頭でしか解らないけれど、でもなんだかすごく面白かった。
(これ、書いてても、私以外でこれを読んでいる人は、何言ってんのか、よくわからないよね?現場(YCAM)で体感してみて下さい)

しかして、あれほど、YCAMの企画展示に対して文句タラタラ言っていた私、どうよ?もうヘラ〜ッと笑うしかありません。


先ごろ、偶々YCAMに席を置かれている人とお話をすることがあった。生きざまのカッコよろしき人。こちらは下層に潜む小市民。一小市民たれど、下層の小市民の意見を上も知る必要があると思い、その時わきまえもなく好き勝手を申し立てた。

YCAMが建つ事に多くの市民が反対をし、私も反対派の一人だったこと。YCAMの展示は、私にはエリートの人達がエリートの人達にのみに向けてやっている展示にしか思えない、等、散々なことを言った気がする。その時、先方より「ではレベルを下げればいいかといったら、そういうもんでもない」と言われ「そんなものなのかな?」と思いながら肯定するでも否定するでもなく、その言葉を受け止めた。

今思えば、その時に、何かのエネルギーが私の中にヒューっと入ってきた感覚があった。その後展開していって私が現実として知ることになる、その元となるような白いプログラムとも言えるようなエネルギーが入ってきたような感じ。そして実際に数日後、よくわからないけれど、入ってきたプログラムが展開していったのか、とても面白い作品に遭遇し、そして茂木さんのクオリア日記でガ〜〜〜ンとやられることになった。

茂木さんは、展示作品をみて、そして池上氏とやりあって”魂の会話”を交わして、”これからどう生きるべきか、はっきりと見えたように思う”とクオリア日記に書いておられた。文章全体を通じて何か強いものを感じた。そして、その会場となっていたのが、なんとYCAM。私の増幅解釈も含まれるとしても、やっぱり唖然。

先入観持たずに物を見るというのは大切なこと。偏見や先入観を持つとものが見えてこない。かといって、人間、防衛はするし、時に酷い先入観を作ったりもする。先入観を入れることで知る所、解かる所もある。ある種、已む無しとも言える。

それでも、何かの時に、ガ〜〜ンとやられて何かがブチ壊れて、新たな回路を結ぶ。そしてまた何かが明らかになって、また生きていく。人間って、そんなもの?

茂木さんの親友であると書かれていた池上高志氏。検索をかけて記事を読んでみたら、これまたとても面白かった。よく解らない。だけれどなんだかすごく面白い。
リンクを貼っておく。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no240.html


世界の見方、認識の仕方。
色んな人、色んな世界、色んな時間、色んな空間。この身体を通して、どこまで、どれだけ、知ることができるだろうか。