pm11:45の電話

夜中の電話に出てみれば、受話器からは多分1年半ぶり?位に聞く人の声。あらまぁと驚きながらお話をする。ここの所はすっかり文化的な事からは離れていた私だけれど、久々に文化的な話を聴く。博多駅の近くのお寺のこと。平等院のこと。住吉神社のこと。膠の話。大内文化の話、等など。

大内文化については以前菜香亭で講座を受講した際、山口から移築されたというすんばらしい経蔵(現在三井寺にあり)の写真をみたり、僧侶の政治的活動の話をきいたり、また別の講話で石屋真梁なる人物の話を聴くなどして以前より面白さを増している。

大内氏の時代、海外(明、朝鮮)との交易も図り室町幕府を倒せるくらいの莫大な富を持っていたのだそう。その莫大な富を持っていた頃描かれた絵にはフェルメールブルーが使われているらしい。色で関わる世界が伝わってくる。フェルメールの使った美しいブルーは、アズライト(藍銅鉱)の青ではなく、ラピスラズリ(瑠璃)の青。その宝石(ラピスラズリ)を砕いてプロセスを経て取りだされる青はとても美しい青。絵画の好きな私も、心が宇宙と繋がる様なその美しい青は絵画作品においてあまりお目にかかったことがない。バチカンの宝物館のショーケース内の分厚い古書(厚さ10cm位ある楽譜だったかな)でみたブルーは多分ラピスラズリの青だったと思う。フェルメールの生きた時代の青。美しい青は心をときめかす。どこかがパッと開いて行くような気分にさせる。宙にも繋がれるような気がする。裏打ちとなるような物証を知っていくと(その話をきくと)過去がよりリアルに再現されるような気分になって、とても素敵な気分になってくる。しばし話を聴きながら、大内文化の交易と栄華を妄想した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E6%96%87%E5%8C%96

大内時代の料理のことにも話は及んで、当時は日本酒などの糖化の技術が進んでいたから、砂糖がなかったとしても(私的には受講した講義によると琉球との交易があったと仰っていたから砂糖はあったのでは?とも思うけれど、黒砂糖はあっても白砂糖がなかったってこと?)多分近年再現された大内時代の料理よりももっと美味しい料理が出来ていたはずだ云々仰っていた。いずれにせよ、大内文化、興味深し。陶氏の焼き討ちにあっていなければ、もっと色んな文化は残っていたのだろうか?残せていたのだろうか?


電話の主は、数日前まで岩手県におられたそうで惨状もみて来られているよし。津波の高さ20mと言われていたけれど、それを物語る痕跡が残っていたのだろうか。隣の家の二階の屋根の3倍位?の高さ?と思うと怖すぎる。

訃報も聴いた。電話に出る前に、訃報?っておもったらあながち違ってはいなかった。

「星降るような幸せをあなたに」というコメントつきのカードを以前私に下さった人。昨秋急にお亡くなりになられたそう。一緒に下関で食事をしたことを想い出す。無事に旅路にはつかれたのだろか。(合掌)

約1時間ほどのお喋りをした後、また電話するといわれて電話をきられたけれど、前に電話があったのが1年半位前だったと思うし、もし電話があるとすれば、1年以上先でございましょうか?? またお話できればと思います。お体ご大切に。