ワンワン11マキシム往く

ラブラドールレトリバーのマキシムが11月11日に往きました。11歳と10カ月。診てもらった動物病院で知ったけれど、大型犬の寿命は小型犬や中型犬に比べて短いらしい。母もマロちゃんもその日を選んだなという日に往ったので、マキシムも11、11、ワンワンワンワン、11月11日に往くのかしらと思ったら、ワンワン、ワンワン、忘れないでね、ワンワンと、11月11日に往きました。早朝外に出て、土でお腹を冷やすように横たわって、私がキッチンでゴソゴソするとその音を聴いて一度家の中に入って来て、私が銀杏を割る側で寝て、また外に出て行って、今日は午前中で仕事を終えて帰ると電話をしてきたGの帰りを待つように玄関脇に横たわって、そして往きました。

マキシムと出逢ってからしばらく嫌われてるかな?と思っていた私だけれど、往ってしまう前日、遅くなって申訳なかったけど、私が帰宅したらとても嬉しそうだったとGが言っていた。確かに横たわっているマキシムの頬の下に手を添えてあげると、とても幸せそうな顔をしていたマキシム。

翌日12日はGの仕事は休みの日で、美祢市の火葬場で焼いて貰った。県内では美祢市萩市が動物の火葬場を持っているとのこと。ついでに書いておくと、市民であれば20kg以内であれば1万3千円、20kg以上が1万8千円。市外からの持ち込みだとそれぞれ7万8千円と11万3千円(だったかな)。

亡くなった日の夕食にGがマグロのお刺身を買って、いつもなら被曝するぞと煩くいう私だけれど、なんとなくその日はGの好きなようにという気になって、家でマキシムの亡骸と一緒に夕食を食べていたら、マグロはマキシムの好物で、よく自分の食べた残りを湯通ししてあげていたとか。晩御飯の仕度をしていた時、マキシムの顔をのぞきこんだら、Gが目を伏せてあげたのに、また開いていたのが可笑しかった。マキシム、マグロ好きだったのね。

すぐに焼いてしまってサヨナラするのは残念な気がしたから、亡骸と一晩一緒に過ごせてよかった。朝10時に火葬場に行き、設備の前に運んだ時は、単なる「物」になってしまっていた。生きているのと死んでいるのでは全く違って(当たり前だけど)死んでしまうと、体というものは単なる物体になる。死が側にあるからこそ生きていることとの違いを感じる。生命がものすごい確率で宿って誕生し、そして日々を共に生きて、死んでいく。Gと一緒に、不思議さとあっけなさを味わいながら場の時間が流れて行った。

Gが東京から山口に戻ってきて大変だった年月を11年間共に歩んだ永遠の友、マキシム。
散歩の時は、いつもGを引っ張った。これからも何処かで時々Gを引っ張っておくれよ、マキシム。