雲さんお元気で

なんだろう、この気持ち。興味津々で読んでいた長編漫画を読了し、しばらく空を仰いでポカーンとしているような気分。

山口宇部空港発JAL2便で雲さんを見送った。出発の前々日にまなまなであった上映会で会える予定だったのに予定は予定で終わり会えず。宿泊先のホテルで待ち伏せをしようかとも思ったけれど、昨日は友人が来たり、Gの遠縁の方が来られたりでそれもできず、10日に宇部空港から乗り継ぎで帰るという情報を得ていたので、もう会えないかもしれないのだし、こうなったら朝1便から待ち伏せするしかないなと思っていた。
10日早朝家を出る前に何気にフェイスブックを開いてみると、便の問合せをしていたのに気付かれたようで10時10分発の便であることが解った。10日の10時10分発という数字がおもしろい。

日本を発たれる前の数日間、雲さんのことを思い出しては不思議な気分になっていた。

私の人生はざっくりとアウトドロップする前辺りまでとアウトドロップし母を亡くして以降の二つに別れていて、母を亡くしてから色々とお気の毒極まりなく悲惨だった時期に出逢った人の中の一人。雲さんは市井で兎にも角にも行動的な人で、そして精妙な感覚を持たれたロス在住の女性だった。

知り合ったのはソーシャルネットワークミクシィだったけれど、妙な所で繋がっていた。山口のみならず遠く小豆島でも繋がりがあったし、これが「ご縁」とか「縁起」とかいうものなのだろうなと思えた。

ミクシィで初め関わった時は、実際に会う人だとは思いも寄らなかったけれど、お逢いして雲さんが赤髪であることを知り(今は違いますが…)髪色にも驚いたけれど、気功のようなもので、私の"腸"を動かされた時にはまたまた驚いた。私が命令した訳でもないのに腸が勝手に動いて(というか、そもそも腸は動けと命令しても動きませんわね)「腸が元の適正な位置に戻ろうとしているから」と解説をして下さったけれど、勝手に動き出した腸を感じる自分は、とても変な感じだった。

高齢のお母様が山口の博物館近くに住んでおられたこともあり、その後も山口に来られている時は何度かご一緒させて貰って、お宅にもお邪魔させてもらったり、華道&茶道の先生でもあったお母様がお庭に植えられていたお花を分けて貰ったりした。他の人にとってもそうだったと思うけれど、私にもまたとても印象深い方となった。

宇部空港で雲さんに会えたら渡そうと思って前日に"お元気で"の意を込めてお箸を削った。長すぎて気に入らず、短くしようと旅立たれる日の朝も削っていたけど、タイムアップ。

無料になった宇部有料道路を走らせて山口宇部空港へ向った。家から空港まで直で車を走らせたのは初めてだったけれど、17分という意外にも短い時間で空港へ辿りついた。

到着して少しドキドキしながら空港内に雲さんの姿を探すと、JALのカウンターで荷物にタグをつけてもらわれている最中だった。椅子に座って待っていると暫くして目が合った。会えましたねと少し遠巻きにお互い心で確認。ちょっとミーハーな気持ちも持ちつつお会いしてみたかったご主人と息子さんの姿も見る事ができた。多様なファミリーだなぁとつくづく思った。

宇部空港の搭乗は出発の20分位前までで良いようで、結構ギリギリの時間まで、ロビーの椅子に座って話をした。

前日の夢の中では空港で号泣していた私だけれど、夢の中で既にしっかり泣いていたので、すこしウルッとした程度で、充分にお話も出来た。出会ったきっかけ話や新たに聞くお話などもあり、またしても刺激を受けた。気持ちよく見送らせて下さって、さすが旅慣れた雲さんだなと思う。搭乗口で雲さんが私の頭の上をクルクルっと空でさすって下さったので、私は少し近づいてスリスリっとマーキングをしておいた。それから搭乗口のお姉さんに少し笑われる位に大きく手を振った。気分は最高に良かった。

見送った後、空港の送迎用デッキに行ってみた。台風が近付いて来ていたから、数日前から飛ぶのかしらと心配していたけれど、山口地方は台風の影響があまりなく雲さんを乗せた飛行機はほぼ定刻で動き出した。上空から台風が見えるのかななどと想像しているうちに機体は少しずつ動き出し、速度を上げてテイクオフ。左に25度位大きく傾けて旋回した後、間もなくして厚い雲の中に消えて行った。なんだか、ポカーンとした気分が残った。

出逢いと、別れ。今後、雲さんに会う事があるかもしれないし、ないかもしれない。今の所は無い方が大きい。でも、ありがたい気分と、残された次に続けたいと思っているご縁とで、寂しさが殆どないのが不思議なくらい。

新婚旅行でNちゃんを添乗員にしてロスにおいでと言われている。行けるかな。ハシは渡してあるので、行けるかも?妄想かもしれないけれど、夢見ておこう。