「フェルメール 光の王国展」を見て

フェルメール 光の王国展」へ行ってきた。フェルメールは20歳代の後半にルーブル美術館でも見たのだと思うけれど、正直覚えていない。当時某女流画家がものすごく好きだと言っていて、その女流画家が好きでなかったこともあり長いことフェルメールをあえて知ろうとも思わなかった。

解説のイヤホンはほとんど依頼することはないのに、今回は借りた。受付の人がイヤホンの右左を2人でひとつづ着けて見るといいですよと言われたので(笑)2台ではなく1台分のみ代金を払って見て回った。最初に戻って2度目を見たときは勿論イヤホンを両耳につけて見た(笑。

17世紀のオランダは顔料が20種類程度しかなかったらしい。フェルメールがその中で使用したのはわずか7種類。その7種類を調合し、メイドがすり鉢で絵具を擦って、絵具を自作していたそうである。7種類といっても、その色の擦り具合、混色の仕方、色の濃淡で、とても精緻に絵画が表現されている。7種類でこの表現ができるのだというのは、私には大きな驚きで、開眼させられるものがあった。絵具の種類が多ければ表現が素晴らしく豊かになるとは一概には言えないのだとつくづく思った。結局はその作家の生きた環境や感性や知性や技術力が作品を創っている。

絵具の事もとても興味深かったけれど、監修した福岡伸一氏が指摘していた点がまたとても興味深かった。

同時代の同郷の人物にアントーニ・ファン・レーウェンフックという顕微鏡を使って微生物を観察した科学者がいて、彼は顕微鏡を自作していたらしいけれど、その顕微鏡で覗いてみた微生物の絵をフェルメールが描いていたのではないかというもの。レーウェンフック自身では上手く描けないので画家に顕微鏡で覗いた絵を描いてもらっているらしいが、その絵の中に抜群に上手い絵があって、それの微生物を描いた絵はフェルメールが亡くなって以降はないことから、微生物を描いた絵の中にフェルメールが描いたものも存在するのではないかというもの。とても興味深かった。

オランダのデルフトという織物と陶磁器で栄えた町に生まれ、同時期に科学者との関わりがあったこと。それらの背景を知ってまたフェルメールの作品をみると、フェルメールに対する理解が随分深まった。これはきっと監修の福岡氏の意図したところでもあると思う。山口県立美術館も大いに見習ってもらいたいものである。(ま、知事が天下って館長になるような、そんなことを優先させる県や美術館では無理だとおもうけど。)

フェルメールは生涯で15人の子供を作り(内4人は夭折)11人の子供と大借金を残し、43歳で他界したそうである。若い頃の私だと、え〜、そりゃないでしょ、と思ったと思うけれど、見終えて知った後の今は、アッパレさすがっ!と思う。

非常に面白かった。細部まで辿ってみて、漸く解ってくる所がある。熱意や意図する所など、とても伝わってくるものがあった。展示されていたリクリエイト作品はわずか37点だったのに、パネルの解説も老眼を細めてゆっくりみて、ショップで記念に葉書も買って、何気に時計をみたら入場してから3時間も過ぎていた。井筒屋内のショップをウロウロしながらも3時間も付き合ってくれたパートナー氏にも感謝である。美術から遠のき気味の私を、また美術にグーッと引き戻してもらえた。諸々に対して、感謝、ありがとう。