馬場先生のお母様お亡くなりに

歩きつかれて早々と横になっていたら、お絵描き教室で同じクラスだったMさんから電話がかかって来た。「馬場先生のお母さんが亡くなられたの、聴いた?」

お絵描き教室を離れてから随分経つけれど、連絡を下さる方がある。何となく繋がっているのだなぁ、と多少の(他生の?)縁を思いながら、葬儀の場所と時間を聞いた。

今日は11時からの式に合わせて葬儀場所であるアトリエに行った。久しぶりのアトリエ、ちょっと懐かしい。会葬者が多いこともあって、あちこちのお部屋に振り分けられ、式の様子はモニター画面越しに映されていた。ご一緒しましょうと朝電話を頂いたMさんとは、式の後で漸く出会う事ができ、最後一緒にお見送りをした。Mさんは以前と変わらず優しい。当人はすっかり忘れているのに、私が以前作って行っていたおはぎやごま豆腐やクッキーなど全部憶えているよと仰ってくださった。時々思い出して下さっている事を聞くと嬉しかった。お絵描き教室の方は、先生が忙しくなるにつれ、段々と生徒の人数が減っている様子。

アトリエに通い始めて間もない頃だと思うが、先生のお母さんとアトリエのキッチンで偶々二人だけになったとき、色んなお話を聞かせてもらった。先生の小さい頃の話をきいたり、(先生は小さい頃から酒飲み・笑)何故かおむすびの握り方まで教えて下さった。

先生のお母さんは、十代で満州から引き上げてこられたそう。日本人は中国の人をバカにする人が多かったが、中国の人達は日本の子女をかくまってくれ大切にしてくれ、今でも感謝の念が絶えないという話など話して下さった。戦時中、日本にいた女性や子供達も大変だった話を聞くけれど、満州などにいた人も、現地でしか解らない大変なことが色々とあったことだろうと思う。

先生のお母さんの元に、多くの菩薩や如来たちの姿がありますように。
先生の所にも、多くの愛(アガペ)が集まってきますように。