美東での一日

芽吹く緑が美しい季節がそうさせるのか、また周りが大きく動いて狂い始めてきているように感じる。「今まで」が通用しない現実が現れ、私の方はといえば、まだ置き去りのままの心をかかえて、どうすればいいのかも解らずにいる。周りの景色が変わっていく。どうすればいいのか考えても、考えが及ばない。
このまま余生を静かに閉じていくつもりだったのに、、、天の神様は、もっとそこでの人生味わったら?とでも言っておられるのか?私はサービスの悪い人だけど、神様は飽きることなく楽しみ、そしてサービスがよい。


レインさんと大陸堂へカレーを食べに行った。大陸堂の裏手に、マスターとその知人の大工さんがごく最近作られたというちょっとしたスペースがあって、そこで、マスターとレインさんと私の3人で先日あったライブのこと等を肴にして味わった。他の人の味わいも、聞いてみると、また美味いな〜とアホみたいに何度もなんども味わっている。一体これは何なのだろう?と思わせるほど色んなものが湧き出でて尽きせず。浅はかな身にはこの現象解せず。

あのライブのあった日以降の数日間、いい加減三昧な日々を過したが、その後も、また三昧な時間が訪れている。おかしい。

もとバックパッカーの大陸堂のマスターをレインさん命名していわく、「人生のマスター」。その人生のマスターのお話を聞いていると、後頭部が緩んでくる感じがして、楽になってくる。面白い感覚。やや辛めにしてもらったカレーを食べた後、マスターに大陸堂の裏手にある音楽堂に連れて行ってもらった。山が迫る地形の側に形状を活かして建てられた音楽堂。ステージもベンチも木で作られていて、座ると心地よい。あたりに明かりが少ないので満天の星空を見る事ができるらしい。月の通る道、桜の木々、指を指しながらおしえて下さった。大陸堂へ向かう途中、緑の秋吉台を走りながら、ここは夜中は街頭も無くて真っ暗ねと話していたけれど、満月の夜は秋吉台の石が照らされて影をつくり、幻想的な風景が広がることもおしえて下さった。

人生のマスターの話される言葉は無理なくナチュラルで、しかも真をついていて興味深い。「築く」ことをした方が良いよとのメッセージ、ありがたく頂戴する。
マスター曰く『楽しい事を考えるのが、一番ポジティブな考え方』。楽しい事をして遊び続けること。これができる領域にある人生のマスターは神様ですね。今までポジティブを履き違えて痛い目にあわせて&あってきたけれど、左遷をはじめここには書けない色んなこともあったけれど、これからの人生、この肉(身)と共に楽しいことを考えてゆけたら少しは楽になれるかもしれない。闇に解けてなくなりたいと思っても、死に掛かった肉の方は消えてはくれないし、消し去る事もできない。いい加減我慢ならないきつさは手離してしまえばいいのですよね。きっと。連動していない脳と体と染み付いた思い癖はなかなかそれを許してはくれないけれど。

マスターと長時間お話した後、またレインさんと二人、木で出来た庇の下に移動して数時間、またお喋り。この肉体があって、ここにいる、この、世の、この、時間。地にあって、天がある。ふと見れば、横に如来のような姿の人もある。時は優しく、私にまだこんな時間を連れて来る。

お話していたら、エメラルドグリーンの羽を持った蝶々がやってきて離れない。レインさんの周りを4周位まわって私の周りも2周ほど廻って飛んでいった。なんだかこそぐったいようで嬉しかった。

パーキングに戻ると知らぬ間にお店のシャッターはすでにどこも降りていた。場所を変えて自販機でガチャンとして水分補給。国民宿舎の前のパーキングから、近くから遠くまで広がる景色の中、霞む夕日を眺める。深いグリーンと鮮やかなオレンジ色は淡く霧のベールの背後になり、穏やかな味わい。

下る道を降りていって、蛍を見に行った。日が落ちると、空気はひんやり冷たくなる。落差から身を守るように二人とも「うさと」を纏って幽かな光を尋ねる。滝のような音と静けさ、暗闇と光、点滅とゆらぎ。レインさんが言う「蛍、これも一つのイリュミナシオンね」

ホットココアを飲んで内側から温まって、来た道を戻って、家路に向かった。