淡くピンク色を注す海岸にて

淡くピンク色を注す海岸へ行った。
細かい石英の海岸もとてもきれいで好きなのだけれど、そこの海岸はさらさらとしていて、足で踏むととても柔らかな感触がした。
よく見ると細かい貝が打ち上げられていて、その無数の細かい貝が、太陽光線を浴びながら、何度も何度も波に洗われて、更に細かく砕けて砂になり、その柔らかな浜辺を作っているようだった。

視線を起こせば、エメラルドグリーンの先に霞んだ地平線。私の目には見えていないけれど、多分、ここに広がるエメラルドの海の下には無数に有機的な豊かな世界が広がっている。遠くから見ていては見えないけれど、表立っては見えないけれど、確実にその世界はある。多くの小さな貝の欠片が、その証拠。

浜辺には砂になる前の小さな美しい貝が沢山あって、その中に菩薩貝もあった。先日訪れた萩博物館で入手した菩薩貝を友にあげようと思って小瓶にいれてカバンに入れていたのに、いつも渡し損ねていた。ここの海岸では、少し探せばその菩薩貝はすぐに見つかった。そして菩薩ヘアからショートヘアになった友にいくつかの菩薩貝を、この海辺では簡単に渡すことができた。

菩薩貝を探しながら砂を見ていくと、その白砂の中には沢山のピンク色の貝殻が含まれていることに気づいた。

少しサーモンピンクがかった?貝は水深30m位で、あの綺麗なピンク色を持つ桜貝は、水深80m位の所にすんでいると萩博物館で読んだように思う。水深80mの所にどれくらいの光が届いているのか知らないけれど、光のないような所へ行くほど、ピンク色の美しさを増すというのは、一体如何いうことか。もしかすると、打ち上げられて太陽の光を浴びる前はあれほど美しいピンクではないかもしれないけれど。

遠く後方のRさんとNさんの姿を視界に確認しつつ、友にも「置いて帰らないでね」と声をかけ、また貝拾いを始めた。

友が、ピンク色の貝殻を私に渡してくれた。折角私に選んでくれたのに、私にはそのピンク色がとても色っぽいものに感じられて、たったφ1cm位の貝だったにもかかわらず、遠慮してしまった。かなり残念がる友に対して申し訳なく思いながら「変わりにこれ頂戴」といって、オレンジの色味がかかった菩薩貝をもらった。今はオレンジ色を望んでいるから、ピンク色は後まわしでいい。

綺麗な巻貝がないかなと思って探していたら、友が私に渡そうとしてくれた半分位のサイズのピンクの貝が目に留まった。友の拾ったピンクの貝は、内側は更に全体にピンク色が広がっていたけれど、私の拾った小さなφ5mm程度の貝は、あるのかないのか解らないほどの薄いピンク色。でも今の私にはこれ位が丁度いい。

美しい海岸なのに、かなりゴミが多かったので、ゴミ拾いに来ようという話を友とする。ドバト部の部長と幽霊部員の考えることだから、きっと、いつか来るに違いない。

また次に来た時、ゴミ拾いをした後で、宝の山のこの海で、ピンク色の貝を探すに違いない。また美しいものを拾えるように、この海が、いつまでも美しくありますように。

後方から、「そろそろ帰りましょう」と声がかかって、私たちは白い浜辺を後にした。