Nちゃんから電話が入る。「路上詩人の子が山口に立ち寄るの。マナマナに行くんじゃけど、来ない?」ちょうどNちゃんとマナマナでお茶でもしたいかもねって思っていた所だったので、マナマナまで出かけて行った。

ここのところ、一回り下の若者と出会うことは結構あったけれど、一昨日会った男の子は、なんと二十歳。路上で詩というかメッセージを書いているらしい。京都大阪方面から下ってきているらしかった。一回りどころか、フタマワリ下。若いけど、しっかりしてるんだなぁと思う。

差支えなかったら何処の大学か訊いていい?と尋ねれば、なんと九大生。私のイメージの中の九大生とバックパッカーはイコールではほぼ結びつかないけれど、でも色んな面白い子がいるんだなぁと思う。

九大にセンター試験などなしに入れるAO入試21世紀プログラムという枠があって(定員はたったの26)S君はその枠で入ったんだとか。講座は自由に選べるらしいけど大学の棟があちこち離れた所にあるのでかなり大変だと言っていた。私とは縁遠いカシコイ人達の行く大学のことなんて、チンプンカンプンだけれど、でも話を聞くのが好きな私としては、どんな話も聞くのは楽しい。その21世紀プログラムにいる26人(27人と言ってたかも?)はいずれの子も、かなり変わった人達のようで(そりゃそうだろうな)Nちゃんが言ってたけど、人間力があるんだろうなと思う。頼もしい限り。

S君”街づくり”をしたいと言っていた。それも政界や財界に入って街づくりを進めようとするのではなく、できれば自らが起業をしてそれをカタチにして行きたいようだった。行政側からの力というよりは、同じ目線に立って、その土地や住民の独自性から発生させて、そして少し引いた目線で見てみても、その街が美しくみえる、そんな街。”街づくり”という言葉は、ワクワクするね。まだまだ若いし、これから轍を踏むこともあるだろうけど、頑張って欲しい。

食事を終えたあと、自分で書いた作品を見せてくれた。初期の頃の作品も見せてくれた。今年の三月のものらしいけれど、半年後の現在の作品とはまるで違っていた。字も細くて小さくて、色もついていない小さな作品。半年の間に沢山の人に出会って、刺激をうけて学んできたのだろうなと思う。

私も書いてもらった方がいいのかなぁ、と若干思いつつも、ま、いっか〜とおもっていたら、頼んだわけではないのだけれど、何気に「書きます」といってきた。その言葉は全く強引でもなく、自分に問うてみて、書きたいと思ったから書きますね、といった風だった。

ちょっとだけ、こっちを向いてもらっていいですか?と言われて、S君の眼を見る。本当に見たのはわずか3秒程度。そのわずか数秒で、もういいですよ、と私に告げる。

目を合わせたS君は、1、2秒後には感情の入らない真の目に変わって、その後その眼はスゥーっと宇宙でも見えて行きそうな夜空の奥に通じる空間のようになっていった。それはわずか数秒の出来事。

何気に書きますって言った時も、それ以前のS君のエネルギーとは変わっていた気がしたし、眼を見て(きっと何かを感じて)その後和紙に向かった時も、エネルギーが変わったように感じられた。

書を少しやってきた私は、書が一発勝負であることを知っているので、ヘタな心配が頭の周りをプワプワする。それに取りつかない様にと無視しながらも、ちょっと心は固まって、大丈夫かなぁとやっぱり心配で、そして、何書くんだろう?と期待と不安も合間って、書く現場は正直見ていられなかった。小心者の私。

でもそんな心配はS君には無きに等しく、書くときは何にも動じておらず。マイペースでそれをはじめ、丁寧に筆を進め、適度に楽しんでいた(たぶん)。

17時5分新山口着の列車で来て、20時40分山口発の列車で福岡へ帰っていったS君。山口滞在時間、わずか3時間半。その間に、Nちゃんと晩御飯を一緒に食べて、私に会ってお喋りして、一筆書いて行っちゃいました。

・・・一体、、、ど〜よ?
しかして、手元に残ったメッセージ



どんなに辛くても
あなたが一歩踏み出せば
幸せに。

あと2歩出せば
みんなと分かち合える
倖せになっていくんです。




・・・・・バカモノメ

書きおろしって、作風も、どの人のものも似たり寄ったりにしか見えなかったし、作品をみても「あ、そお、ふ〜〜ん」と、まるで今まで心をとらえることもなかった。

でも、一期一会にその場があって、必要なメッセージはやってくるのかもしれません。その時、その場で、交わされた、私へのそれ。
後日、友より「受け取りなさいよ」とのメールがきた。



こうして、またしても、やられている私。
S君もNちゃんも、ありがとう。

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(゜_゜)

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