友のお母さんとヨガ講座へ

ここの所またずっとサボってばかりいるヨガだけれど、習っている隅野先生が幼馴染のY2を通して案内を下さり、開催場所もさほど遠くなかったので、ヨガの教師養成講座説明会なるものに足を運ぶ。ヨガ教師などなる素養もその気も特にないけれど、講演をされる方のお話が聴きたくて、それがお目当てでお出かけしてきた。

Y2が急きょ行けなくなったので、Y2のお母さんと一緒に現地へ向かう。道中、なんとなくY2のお父さん=今回ご一緒したY2のお母さんのご主人の話になった。つい先日、早くに亡くされたご主人のためのミサをザビエル教会に依頼してして済ませたと言われていた。仏教では法事というものがあるけれど、キリスト教では亡くなられた後は、そのようなものは無いときいたことがある。でも、そのような追悼の会(ミサ)をしない訳ではなく、Y2のお母さんは毎年命日に教会にお願いしてミサを行ってもらっていると言われていた。

宗派によるところもあろうし、日本にあっては日本的になった部分もあるのだろうか?などと勝手な想像をしたりもするけれど、それでも毎年教会で故人を思い出す場が設けられることを、なんだかとても素敵に思った。今年はY2は娘の大学の事などで行けなかったそうであるけれど、毎年住職であるY2の旦那様共々一家でザビエル教会に行きミサを行ってもらっているとのこと。なんだかとても趣深いものを感じるような気がした。

Y2とは彼女のお父さんの話をしたことが、殆ど無い。彼女は節度もわきまえもある人だし、自分の身内の事を多く語るような人ではない。今、宇部に住んで、すっかり宇部の人になっているけれど、でもルーツは小京都の山口にあり、そしてY2の地元の歴史や民話が好きといった趣味や嗜好の傾向は、お父さんゆずりのところが大きいのだなぁとお母さんのお話を聴きながらしみじみ思った。Y2のことをY2のお母さんから聴くことは、私の知らないY2の事を知るようで、友達としてのY2ではなく、子供のことを想う母としてのY2や長期を視野にいれた坊守としてのY2のことを知ることができ、とても有り難かった。人はそれぞれ、当たり前だけれど、色んな側面がある。そんな当たり前のことを如何に私は知らないでいることか。

会場の山口県想像保健会館に到着して、外に出ると山口の南部よりも気温が低くて震える。風も強く冷たくて「六甲おろしじゃなくて、鳳翩おろしかねぇ(ほうべん山からの風?)」なんて笑いながら急いで建物の中にはいる。入って、まずは何故か血圧測定(笑)。保健会館は市役所同様無料で測定できる血圧測定機があり、二人で血圧をチェックしあう。お互い、一寸高め?などと言いながら2階の会場へ。

受付におられた隅野先生は、いつもと違って少しドレスアップされていて、その華やかさに驚いた。なんと美しく華やかな雰囲気!今までの私の知らない隅野先生に本当に驚いた。他にもヨガを教えておられる先生も来られていたようだけれど、比べてはいけないけれど、この先生にならえてよかったなぁと、正直そう思う。ヨガという世界も、ものすごく深く広い世界。その世界を、どのルートで、何をどのように、学ぶか。どのような師から学ぶのか。師の存在は、道をすすむときにとても大きいし重要になると思う。よき師に出会うことはとても大切。

お話をされた木村慧心先生は、とても穏やかな声のステキな方だった。若いころはバックパックでインドを旅し、勿論随分と厳しい修行もされてきているのだろうと思う。高校受験を前にした息子さんと一カ月インドを旅されたこともおありなのだそう。その柔軟な表情は、生まれ持っての性格の所も多分におありなのだろうけれど、修行の賜物の部分も勿論とても大きいはず。そして特筆すべきは、この先生はとてもユーモアに富んだ先生であるということ。書籍も多く書いておられ、監修本も多い。とても優秀で偉い先生に違いないのだけれど、でもお堅いお高い先生ではまるでなくて、独立した風情も感じるけれど、一人浮いておられる風には感じさせない。

スライドを見ながらお話を聴いた。お髭が凍るような標高の高いチベットで、裸で何日も瞑想を続けているヨギ。食事など如何なっているのだろう?と思う。多分食べてはおられない。不可思議だけれど、真実の出来事。

一番気になったのは、「こんな瞑想もあるのか」とインドでの修業中に教わった瞑想のことを言われたこと。こんな瞑想とは、どんな瞑想なのだろう?

心と体の柔軟さの為に、なんとなく良いだろうなぁと思って始めたヨガ。深く追求することもなく似非プチヨギで今に至っている。極めていこうとか、日々の生活の中に深く据えるまでの熱意はなし。でも、これからもなんとなく似非ヨギを続けてやっていくのだろう。それは、心と体、ひいては自分との繋がりにおいて、トータルに健やかさを導こうとするとき、有効に働く気がしているから。各種罹患にも有効性を発揮するだろうと思うから。ヨガの難しい分野に入るのもよし。簡単なポーズの2、3でもよし。それぞれのレベルで好きな分だけ出来る分だけ活用できる。道具もいらないし便利。

時々思い出した時にだけでも、それでも時々やっていたら、以前より少し体が柔らかくなってきた。体と心が繋がっているとすれば、自覚はできないけれど心の方も少しは柔らかくなってきているのだろうか?相変わらずバランスは良くないようだけれど(苦笑)。

帰りに隅野先生から、受講を勧められたけれど、無理。これからも、気が向いたときだけの、似非のプチヨギに違いない。でも、似非でもプチでも続けて、少しくらい本物に近づけたらいいね。

新たに知ることの多い、よい一日でした。