人体の不思議展

かれこれ10年くらい前の事になると思うが「人体の不思議展」というのを福岡市立博物館(だったはず)へ友達と見に行った。福岡へウィンドショッピングも兼ねて遊びに行く程度の感覚で出かけたものの、その展覧会はある種、衝撃だった。今までに見たこともないものを見たという驚き。人体のすごさをより精密に具体的にこの目で見たという驚き。1週間だか2週間だか忘れたけれど、兎に角、暫くの間その展覧会のことは頭から離れずにいた。

今より身体への意識は低かったと思うが(今も高いとは言えないけれど)、人体というのはすごいと驚嘆した記憶が今も静かに残っている。献体された人体は特別な処理がされ、ホルマリン漬けとは全く違い、プラスチックでできた精緻な人形のようにも見えた。それは標本とも言えるし、同時に素晴らしいアート作品と言えるようなものでもあった。その標本は『プラストミック標本』というらしい。

空想や想像も面白くて好きではあるけれど、まぎれもない事実というのは、より多くの事を私に伝えてくれる。リアルに提示されたものは、全体を見ながら同時に細部にまで明確に視点や意識を向けることができるということであり、それはある種の感動と知的衝動を与えるものであった。人体はすごい。知れば知るほどにすごい。なんと精妙でかつ美しく素晴らしいことか。

福岡であった「人体の不思議展」で、勿論図録も購入し、気持ち悪がる人にもその図録を見せたような気がする。当時習っていたお絵かき教室にもその図録を持って行ったところ、先生が私の想像以上に興味を持たれたようで、結局その図録はアトリエに置かれたまま私の手元に戻ってくることはなかった。

あれから約10年。下関の海峡メッセに巡回してくるのを知った時は嬉しかった。手元から去って行った図録をまた購入できるよい機会。福岡で開催された人体の不思議展の図録は後日入手可能かどうか問合せをしてみたけれど、入手できず残念な想いが残っていただけに、今回是非に行かねばと思った。

漫然とした日々を過ごしていたら、気がつくと私が行けるチャンスは今日しかない事が判明。夜にも出かけるし体力を温存しておいた方がいいと思いつつも、結局朝から会場である海峡メッセまで出かけることにした。

連休中は車が多いだろうと思っていたら然程渋滞もしておらずスムースに進む。しかし長府をすぎて下関水族館の手前あたりで急に車が動かなくなる。予想通り。亀山神社にお参りして、そこから車を置いて歩いて行く事に決めた。ランドマークの海峡タワーは眼中に大きめにとらえられるということは、距離的には然程遠くないはず。

お天気のいい日は、歩くのも気持ちがいい。国道を避けて波止場近くの通りを歩くと、船が沢山停泊していて、海辺の気分がより味わえる。ヘリコプターによる遊覧ができるのを知ったり、行ってみたいなと思わせるコーヒー専門店をみつけたり、道沿いの花壇にボランティアの方が香りの事も考慮してかヘリオトロープを植えて下さっていることを知ったり、歩くからこそ見つけられるもの、感じられるもの、多々あり。歩くからこそ味わえる気分。多くはないけれど、歩いている人も少しはあって、歩くのっていいなぁ〜と思う。

一時間位歩いてようやく海峡メッセに到着。人の時速約4kmとすると、4km位をあるいたのだろう。さゆごんさんが一日40km歩いたというのを想うと微々たるもの。でも私にとって徒歩一時間はかなりレアなことなので褒めてつかわす(笑)。

チケットを購入し会場に入る。会場に入ってすぐの所に、17世紀に描かれた人体解剖図が(複製画だったかも?)展示されていた。人体解剖のスケッチというのは、ルネッサンス期の芸術家達が、人体を表現するには、内部構造を知らなければということで美術教育の一環として始めたものらしい。

因みに、レオナルド・ダビンチは二体の解剖を自らの手で行っているらしい。深夜、死体と付き合うなんて想像を絶する。想像したくないけれど、その臭いは強烈であったはず。それが出来るのは、天才かキチガイぐらいに限られるだろう。常人のなせることではない。解剖をしながら、それを細部と全体とを把握しながら書き留めていく作業。私の頭ではその天才具合は解かりようがないダビンチ。でも私が今、急にダビンチの頭脳を持ち合わせたら、多分、いや間違いなく狂う。

会場が違うこともあってか、以前見たときと同じような気分にはならなかったけれど、それでも、献体して下さった方々の事を想うと、感謝の気持ちが湧いてくる。心の中でありがとうね、とつぶやきながら、人に余り見られないように、小さく手を合わしながら見ていった。

ゆっくりゆっくり見た。前から、後ろから、横から、上から、下から、見た。精密で複雑だし、記憶にその細部をとどめることはできないけれど、ゆっくりとしっかりと見ていった。

きっとこの展覧会を見た殆どの人は、そう思うだろうけれど『人体は驚異』。

しかし、私たちは、とんでもない素晴らしいもの(身体)をもれなく頂いているのだと感じる。障害という特性を持った人もあるけれど、それでも尚且つこの人体というのは、精妙ですばらしい。

恐ろしいほどの機能が装備され、まるで別個で異質のようなものも併せ持ちながら、全体としては一個の人間として、普通に動いている。日頃は全く自覚もないけれど、自覚もできないような沢山の働きを基に成り立っている。

血管やリンパ管の分布、その長さ、多さ。筋肉、筋の繋がり。それぞれの臓器の形、位置、質感、大きさ、長さ。皮膚。眼球。脳。胎児。etc.

精妙に作られたこの身体。気付かない多くの働きにより、動いているこの身体。意識しても動かしているし、同時に意識せずとも動いている。

もっと身体に感謝しよう。

出口のあたりに、脳年齢や肌年齢を測定できる装置があったので、脳年齢と血管年齢を測定して帰る。解説に、脳の機能を有効に使っていないようなことが書いてあった。^^;血管年齢は実年齢よりも上で、弾力性を非常に欠いているらしい。ヤバイ。心と体って、本当に繋がっているのねぇとデータをみて痛感した。

帰りも一時間かけて車を置いたところまで歩く。行きより少し早く着いた。海峡メッセには人が一杯。大道芸人の外人さん。バンド演奏してる若者達。いつか私も路上デビューしたいと思いつつ、実行には移せておらず。今後路上デビューすることはあるのだろうか?今の所、気合いがもう一歩足らない。というか気負いが大きすぎるんだろうな。大好きなウニの瓶づめを買って帰る。

一人で出かけるのは、ちょっと寂しいって思ったりもしたけれど、結局一人で行った方が自分のペースで見ることができてよかった。

今より、バランス良く上手に適切に使ってあげよう。そして、身体と私、少しでも知って、知り合って、もっといい関係になれますように。頼むよ、頼むよ〜!!