大きな後悔

逝ってしまわれた。逝ってしまわれていた。Mさんが大好きだった海棠や杏の花が散っていった春(4月25日)、老人ホームで。
楽しい時間を沢山一緒に過ごした人。共に色んな事を学んだクラスメート。享年79歳。
今年になってからの一時期、妙に思いだされていた。お知らせだったかもしれないのに、何故会いに行かなかったのだろう。後悔ばかりが大きくなっていく。

ご主人は、前に伺った際、入院先を私に告げられることはなかった。会いに行きたい旨を伝えたものの「ちょっと、会えない…」との返事だった。

勉強熱心で、還暦過ぎてからもラジオ講座で英語を勉強されていた。富岡鉄斎のお軸のかかった席でお茶を入れて頂き、お庭を眺めながら虎屋の羊羹を頂いた。

アトリエでの研修旅行では、ダイヤが乱れて新幹線に二人して乗り遅れ、京都の国立博物館で二人で遅れて皆と合流した。一緒に薄暗い部屋で大きな閻魔様に挨拶もした。

初めてお会いした時は「なんて気位の高い人なんだろう?!」と少々閉口した。華族の出の方と後で聞いた。それでも1ヶ月後にはすっかり仲良くなって、その後は色んな事を私に教えて下さるようになった。お料理のこと。お裁縫のこと。分別のあるとても教養の高い人だった。

約10年前に癌の手術をされ、お見舞いに行ったときのこと「息子には心配をかけるから知らせていないの」と言われていた。

車椅子生活になっておられるそうだったし、以前のMさんとは変わられていたのかもしれないけれど、無理を言って会いに行けばよかった。

残されたご主人は、片づけをされた後、きっと老人ホームに入られるのだろう。電話口で「寂しいもんですね」と何度も仰っていた。遠くに住まわれている息子さんたちはそれぞれの生活の中にあって帰って来られることはない。

戦前、戦中、戦後、そして現在。それぞれの時代と共にその都度選ばれた環境の中で、歩まれた人生。人生って、長くて、でも、とても短いのだろうなと思う。

見送るたびに知らされる、人ひとりの重みと、生きることの大切さ。
近年、見送る事が多くなってきた。後どれくらい大切な人を見送るのだろう?
どんなことがあっても、それを肯定できますように。肯定して歩んで行けますように。