桜並木を過ぎた所で

桜並木を右手に愛でながらの帰宅途中、左手に去年?できた大きな会館の中にある金色の女神像が目にとまった。新興宗教は敬遠しがちだけれど、そこにできた建物内のガラス張りの向こうにおられる女神像は、姿は違うけれどサモトラケのニケを彷彿させる所もあって、ちょっと好き。

何気にみた後、また気を取り直して運転していたら、左の肩の上〜〜の方に何か(誰か)お越しになられた(みたいだった)。

(こんにちは)…ノコチャン
( ニコッ(^^) )…誰かさま
( 呼んで下さってますか? でも入信はしないと・・・)…ノコチャン

( 好きなようにでいいのですよ〜 )誰かさま
(そうですかぁ)ノコチャン

( 自分の好きなように生きていいのよ 好きなように生きなさい。それがいいのよ )…誰かさま
(そうですね^^ ルルル~~)ノコチャン


嫌なものを穿るより、お日様を浴びながら、風の中で、通り過ぎる景色の中で、好きなものを見て救われていこう。何を見てもよし。

昨日は、色んな事が虚しく感じられて仕方なく、この時期に例がないという暴風だった天気の所為もあるのか如何か、随分と救われない灰色な気分だった。虚しさとそうでない所の際にあるような位置で、その虚しささえも観じて行ければよいなと思ふ。嫌なもの、どうしようもないもの、逃げていたいものは、細い先の遠くに見ていていい。愛なんて、出来たらで良い。少しでいい。