(転載)日本が存亡の危機に立っていることは、専門家はみな知ってい

作成: 青木 正美 日時: 2012年4月6日 3:11 ·
先日のNHKの『MEGAQUAKE2』を観ていて、震災直後の日本地震学会において、地震学者たちが大きな戸惑いと無力感を曝け出した場面を見て、私は急に、昨年4月初旬の災害復興学会の研究会での出来事が鮮やかに思い出されたのだった。
関西の災害復興学の名だたる研究者たちが、東日本大震災の報告をしながら皆、男泣きに泣いていたのだ。私も含めてだが、ずっと積み上げてきた学術的な知見も経験も、この巨大な震災に対しては何もかも役に立たなかったという、どうしようもない無力感に押しつぶされそうになっていた研究者たち。それをひたすら実感した昨春の研究会だった。

あれから一年。研究者はみな少しづつ立ち直って、巨大なる課題を残した震災に対し、また歩き始めたところだ。東日本大震災というのは、あらゆる専門家から大きく学術的な自信を奪い取り、ひたすら無力感と向き合うことになってしまった震災だった。その大きくて重い事実を、番組は思い出させてくれたのだった。

今週中に大飯原発を再稼働する決定をしようとしている政治家は、日本の名だたる災害の研究者たちのこの大きな無力感を知っているのだろうか。
同じように地震学や原子力の研究者たちの、どうしようもない無力感を知っているのだろうか。

はっきり言おう。私たちの国は、大きな地震活動期の只中にあり、あらゆる専門家の専門知識を持ってさえ予見が不可能な状況になっている。
この時点ではもはや、次の大災害に対してどうリスクを減らして行くべきなのかを、日本中の頭脳を集めて考える段階にあるだろう。少なくとも、原発のリスクだけでも減らしておかなくては、この国には実質的に未来はない。
恐らく、災害にかかわっている全ての専門家はそう思っているはずである。専門家ならずとも、そう考えている人は多いことだろう。

もう一度言おう。一年前の桜が咲いていた関西学院大学での研究会では、どうしようもない無力感を抱きしめながら途方に暮れた研究者たちは、一日中、泣きながら研究会を過ごしたのだった。それが、本当の日本の姿なのだ。