アジサイの思い出の庭

あれは去年の梅雨時期6月28日のことだった。今も想い出すと不思議な気分になる。あじさいを見に行った場所。そこはまるで天国のような場所だった。

あじさいおばさんと呼ぶようになったTTさんに初めてお会いしたのは、私が花屋でのアルバイトをはじめてまだ3、4ヵ月位の頃だったと思う。売り場の一角でTTさんはアジサイを見ておられ、声をかけると赤いアジサイを探しておられるようだった。ホームセンターも色々廻って探してみたけれどなかったらしい。見つかるかもしれないと思い、その週の注文時に赤いアジサイがあれば入れて欲しいとオーダーをかけた。その後赤系アジサイが入荷したので訊いていた番号に電話し来店してもらった。入荷したのは赤というよりも濃いピンク色のアジサイ。名前は確かパリジェンヌだったと思う。もしかしてあずき色系を探しておられたのでは?とも思ったけれど、入荷したそのアジサイを喜んで買って帰って下さった。大した事をした訳でもないのに、親切にして貰ったととても喜んで下さった。その時「何故かあなたにはとてもシンパシーを感じる」と言って下さった。その後お店に寄られたとき、何度か立ち話をした。私の身の上などを話すと不憫に思ってか、お昼ご飯用にと差入れをして下さったり、少し遠出された際にお土産を買ってきて下さったりもした。

赤いアジサイは娘さんが好きでという理由で探しておられたようだった。きけば娘さんは病気で既に他界されていた。闘病中だけれどまだ娘さんが外出もできていた頃赤いアジサイを娘さんと一緒に探されたらしい。何故娘さんは赤のアジサイが好きだったのだろう?単純に珍しい色だったからか、海外では赤のアジサイは多いように思うから洋書で見られたのか、アルカリ土質に咲く赤のアジサイの雰囲気が好きだったからだろうか?何か特別な想い出があるのか、今更知る由もなし。

一昨年の梅雨時にお顔を拝見したとき、アジサイ見に行きたいと言えば良かったけれど何となく言い出せず、去年また梅雨時期に来店されたので、今度は思いきって「アジサイ見に行ってもいいですか?」ときいてみた。勿論快くOKして下さった。

それから1週間後教えて貰った住所に伺った。ナビに住所を入れて車を走らせたものの、途中の道は細く、林を抜けるなどしていたら道に迷ってしまい、約束した時間よりも遅く到着。お家は通って来た道よりも少し低い位置にあって、まわりには木々が生い茂り別世界の隠れ家のようにもみえた。

華美な所は全くなくつましげなTTさんが、あんなに素晴らしいお庭を管理しておられるとは全く想像もしていなかった。玄関に続くアプローチにはアジサイは勿論のこと、今が季節の花々がしっとりとしたそのお庭に色々咲いていた。

あじさいおばさんは私の到着が遅れたので少し心配されたようで、お庭に出て待っていて下さった。途中で買って行った手土産のカステラをアジサイおばさんに渡したあと、上がり込む予定は全くなかったのだけれど、お茶でもと言われ、お宅にあげて下さった。そこはまた驚きの連続だった。

玄関に飾られた大量のアートフラワーとアーリーアメリカン風の女の子が描かれた大きなトールペイント。その先のドアには天井近くにまでアートフラワーの蔓が上っていて、最初に通された応接間にも可愛いドレスを着た沢山のお人形さんがソファーに座っていた。娘さんが結婚式の時に使われたと思しきブライダルブーケや布製のオママゴト道具。淡いモスグリーンのソファーと少し落ち着いた薄緑のカーテンのかかったお部屋。何だか不思議な感覚になってしまう場所だった。多分、今もこの部屋はこの世から去った人が通ってきておられるように思う。そんな気がした。

少し退色してはいたものの、様々な素材や色の布や紙で作られた花々。優しいニュアンスで色つけされたオーガンジーやビロードの花達。籠一杯に入れられた花々はお部屋の隅々に飾られていて、他にも、昔流行って私もしたことがある文化刺繍、さげもん、南天九曜のお猿さん、小さな老夫婦人形、ミニチュアで作られ額の中に収められていた沢山のもんぺや着物。

布製のしかけ絵本というのも初めて見た。TTさんが最初お孫さんの為に作られ自分用にまた2冊目を作ったと言われていた。コケコッコーと鶏が鳴いて朝が始まり、ティータイムがあったり、トランプしたり、ピクニックに行ったり、それが数ページの布製の絵本になっていた。それは正にアジサイおばさんの日々に違いなかった。大切なのは日々の何気ない暮らし。想い出深いのはそんな日常の平和な暮らし。私にもそんな長閑な時間があったはずなのに、インターネットや携帯の普及と共に時間感覚は変わり、いつも必要以上に気忙しかったり知らぬ間に競争の中に巻き込まれていたり、守られた中で多くの手作りの時間があったのはいつの頃までだっただろう?

畳の部屋に通されて、お昼ご飯を食べたかどうか尋ねられ、軽く済ませてきた事を伝えたけれど、サンドウィッチとジュースを運んできて下さった。遠慮なく頂きながらお話を伺った。素敵な色遣いのトールペイントがところどころに飾られていた。そこに描かれた女の子の可愛らしさと綺麗な色遣いに見入ってしまっていたら、それらトールペイントの作品は娘さんが作られたものだと言われた。トールペイントが趣味で台座の木枠のカットから自身でされていたという娘さん。病院で検査技師をされていたそうだけれど、癌を患い40歳そこそこでお亡くなりになられたそうだった。私と出会った時にはまだ亡くなられてから3年位しか経っておられなかったことになる。TTさんも病院勤務で看護婦さんをされていたらしい。夜勤明けに眠るのが惜しくて、そのまま寝ずに手芸に励んでおられたらしい。ご主人は娘さんが亡くなられる数年前に他界されたようだったけれど、あちこち色んな所に連れて行って貰ったと言われていた。

一通りお話をした後、広縁に面したお庭を案内して下さった。庭の南側?には小さな小川が流れていて、その小川に添ってぐるりとお庭を回る通路があった。大株になったブルーやピンクのアジサイ(舞孔雀?ダンスパーティー金平糖?等々)が立派に咲いていて、その合間には植え付けられてまだ数年と思しきアジサイが色々植えられていた。野趣あふれ茶花にもなりそうなアジサイは後日苗を頂いた。勿論私が手配したアジサイもあって、このアジサイも立派な苗木をバイト先に持ってきて下さった。どのアジサイも、どの花も、大切にされ、よく手入れされていた。今多肉植物に凝っていると言われていて、沢山の多肉の赤ちゃんも生まれていた。庭の仕事のすべてをTTさん一人でされているようだった。

以前は今のようなお庭ではなくイブキ等の大木もあったそうだけれど、手入れが大変なので切ってしまわれたそう。玄関に通じる小道は両脇に少し土が盛られ、ジニアが芽をだしていた。毎年種から育てられているそう。発芽から成長を楽しみ、花を愛で、種を採取して翌年また種まき。続いていくサイクル。私は種まきからは今はしていないけれど、私も一部真似をして去年から玄関へのアプローチにお花を植えるようになった。手入れが悪く鬱蒼としてきている実家の庭に、お花が明るさを添えてくれる。いずれ私も手のかからない庭木に移行して、もう少し行き届いた手入れをしていけたらと思う。

お宅の北側?の大きく枝垂れた木の下には小さな畑もあった。黒々とした畑にはキュウリやトマトが成長していた。その畑の更に下には広く見渡せる田圃が広がっていて、気持ちよい風を運んできてくれていた。やっぱりここは天国。そこの小さな畑でアジサイおばさんがキュウリや紫蘇やハーブを摘んで下さった。夕方になってあじさいおばさんの弟さんが寄られて、これまた沢山の茄子やトマトを下さった。

蛙がゲコゲコ大きく鳴いていたので、天国のような気分だった私も現実に戻っていった。夢のような場所での時間はそこで終わり。またいらっしゃいとTTさんが笑顔で見送って下さった。

今も思い出すあの素敵なお庭とお部屋。お庭も針仕事も小さな仕事の集積、結果。出来上がっていったもの達には沢山の愛情と気の遠くなるような時間が込められている。そんな膨大な時間と愛を感じる時、人は時間が止まったように感じるのだろうと思う。

またあの日と同じアジサイの季節が巡ってきて、頂いた苗も大きくなってきた。でも植えた場所が悪かったのか、今年も花芽はついてくれず。花が咲いたら写真を撮って葉書を送りたいと思っていて、今年咲けばいいなと思ったけれど、残念ながら今年も咲いてくれなかった。別の所に植えかえた方がいいのか?現在思案中。またアジサイおばさんの所に伺えたらいいなと少しだけ今も思っている。そして、あのトールペイントに描かれた女の子のお人形さんを作って持って行けたらいいなと密かに思っている。