養老さんの遺言

先日、テレビに養老孟司さんが出ておられ、生で見た事もあるそのお顔の前というかTVの前に、朝の忙しい時間なれど立ちどまった。6,7年位前?に山口市嘉川にあるお寺での講演会にいったことを思い出す。小さい頃から昆虫好きで山口と九州では蝶の種類が随分違う話などその時、色々面白い話をされた。ほぼ忘れたけれど(苦笑)。

その養老さん、80歳になった記念に「遺言。」という本を出版されたそうである。
その中で、今という時代が如何に「異常な時代」であるか述べておられるらしい。私もこの数か月位まえから特に、今の時代というのが何千あるいは何万年ものスパンで考えても「異常な時代」だなと思うようになってきている。

養老さんがTV内で「政府も官庁も一度ぶっ壊れないと・・・」と言っておられた。よくぞ言ってくれましたが、私も本当にそう思います。

その養老さんが死ぬ前に言っておきたいこと。
以下抜粋…
「今は会社の同じフロアで働いていても直接話したりせず、メールでやり取りするでしょう。「現物」はノイズだから、意識は触れたくない。こういう、ノイズを避けることを最初に始めたのは医者ですよ。目の前の患者を見ず、カルテや数値だけを見て判断する。

私が「遺言」として言っておきたいのは、意識が排除してきた動物や自然に、もっと関心を持ってほしい、ということです。我々の目も、耳も、外界を把握するためにあるのですから。

自分の内側、意識の中だけに住むのは現代人の病です。べつに、この本でそれが治るなんて思っていません。でも、ちょっと立ち止まって、意識について考えてみるところから始めませんか、とお誘いしているのです。」・・・


パソコンが普及しはじめ、世界がネットで繋がったあたりから、身体感覚をとても狭めてしまった気が個人的にはしている。多くの情報は沢山のことを意識させ一部に恩恵ももたらしたけど、繋がれない身体感覚はどこかストップさせていった。皮膚感や嗅覚など脳に非常に鋭敏に働く類のものはネット上にはのっからない(そういった感覚の類のものを感じる人もあるだろうけれど、現実のそれとは格段に差がある。)情報ばかり増え、意識ばかりを肥大化させ、それは軽視・無視、ひいては酷い分断も同時に起こしてきたようにも思う。

ストレスの多い現代社会で、心の休まりは、情報や意識ももたらしはするだろうが、身体感覚こそがそれらをより深く強くもたらす。魂が休まるとはあまり言わず、心が休まるとか安心すると国語表現で言う。とならば、安心したり休まろうと思えば心に働き掛けないといけない。そしてその心は身体感覚とつながっている。自然に関心をもって動植物に触れる事は、ネットとは違う感覚で、空間を、世の中を、深く広くキャッチし、繋げ、癒し、休めてくれる。

今学んでいるガーデニングは、安心したい私の心がそれを望んでいるのだと思う。ガーデニングはクリエイティブな作業で、学ぶ範囲は歴史、地学、言語、生物、建築、色彩、環境、社会etc.とても広くて多いし楽しい。勿論五感や心への作用も大きい。もっと実践も兼ねて学んでいき、自然や動植物に触れ、しっかり観察し、手足も動かして、ヒューマニティのある良識的な人達と心繋げ、少しでもホッとして生きていきたいと思う。