辻村寿三郎人形展“平家物語無情縁起”

週末は、友達に東方面(祝島)へお泊りのお誘いを受けていたけれど、結局私は西へ西へ。友は上関、私は下関。何と申しましょうか、天邪鬼のワタクシでございますので、神の席(上関)より、やはり下に下に(下関)と足が向くのでございます。

逢いたい人に会いに行く。その名は“タマズサガオンリョー”ではなくて、その生みの親、辻村寿三郎さん。

偶々ジュサブローさんの人形展が下関大丸であることを知り、会期中に見に行こうと思っていたところ、土曜の朝寝ぼけたままで何気に検索をかけていたら、週末にジュサブローさんのサイン会があることを知った。

会いたい!!!

会いたいという気持ちは重い身体を目覚めさせてくれるもの。ジュサブローさんとお人形様達にお会いするのだからと、久々に少々お色気アップして(笑)濃い口紅に派手目の支度で、お出かけしてまいりました。

下関まで車が混んでいたら2時間くらいかかる可能性もあると思っていたら、土曜日のお昼間は意外に車はすいていて、1時間20分で下関大丸に到着。

とても久しぶりに下関大丸に足を運んだけれど、人は少なめ。7階の催事場へ上がったものの、入口がわからずにウロチョロしてたら、店員さんが声をかけて下さって、親切にわざわざ入口まで案内して下さった。さすが大丸。っていうか、私っておばあちゃんとさして変わりがない?(苦笑)

入口で早くも、なんとも言い難い体感がやってくる。勿論ホンワリフンワリではない。でも寒々しい感じではない。言葉に現しづらいけれど、じーんとして神妙になる。今に思えば、強く色んな情が含まれつつ、でもそれでよい、といったような、鎮めたいような、祈りたいような、そのようなものが沢山含まれた何かだったようにも思う。

辻村ジュサブローさんといえば、「新八犬伝」のお人形を作った人。あの人形劇は今でも忘れられない。あの人形劇を知っている世代の人だから、結構高齢の方が多かった。

2時からのサイン会までゆっくり見ようと思ってみていたら、半分位見終えた所で後方よりよく通る声が聞こえてきて、もしや?と思って後戻りすると、そこには着物姿のジュサブローさんがおられた。帯は後ろでかなり右横の方に締められ、ウィーッシュと言われることは無いと思うけれど、手には緑色の皮の手袋。御歳はもうすぐ77歳、オシャレ。

有名どころの人のサイン会ではあるし、会場でサインのみされるのだろうと思っていたら、ギャラリーの中に平気な顔をして入っておられて、ごく普通に作品の解説をされていたのには少々驚いた。聴き入るギャラリーを引き連れて、時間をかけて作品の解説をして下さいました。なんてありがたいことでしょうか。

山口県に住んでいながら、壇の浦の戦いで安徳天皇が幼くして入水した事と他には耳なし芳一の話位しか知らない私。でもジュサブローさんが解説を始められると、歴史が面白いほど頭に入ってきた。こんな歴史の先生がいたら、生徒は面白くて身についていいだろうなぁと思うことしきり。教育も愛情あってこそだなとしみじみ思う。話を聴いていると、その時代に登場した人達の心が、ボンクラの私にも伝わってくるような気分だった。

歴史も、表側からみた歴史もあれば、裏側からみえてくる歴史もあり。教科書には書かれることのない史実というのは、勿論私たちが知らないだけで、数多ある。教科書には、教科書を作る人の目線で、よかれと思っての選択で、書かれている。

目線を低くすると、多くの人々の声がしっかりと聞こえてくる。高いところからの視線も見渡せてそれもいいけど、そこからでは見えてこないものも沢山あり。教科書に書かれていることは、私には生きた人とは感じ得なかったけれど、ジュサブローさんの話される歴史は、そこに生きた人を深く感じさせた。

今回の“平家物語無情縁起”の人間関係は、色々と、まあ、複雑ではあります。多岐にわたる詳しい人脈は覚えられないけれど、おじいちゃん(白川法皇)の子(崇徳天皇)が父親(鳥羽上皇)の子であったり、あの西行平清盛は同い年で、小さい頃は崇徳天皇共々三人で一緒に遊んでいた間柄だったり(後に崇徳天皇平清盛等に奇襲され隠岐へ流されることに)、、、。

水売り女(と言えど、身分の高い人の子らしいけど。この人たちも白拍子。後に祇園に御屋敷を建てて貰って祇園女御と呼ばれる)と題されていた少女は、白川法皇が妻を亡くした後すっかり沈みまくっていた時に出会い(出会ってしまい)それで生まれたのが清盛。因みに白川法皇は奥さん一筋だったのに、その奥さんが亡くなってからは女性関係がすごく多くなってしまったんだとか。祇園女御・妹(清盛の実母)は、産後のひだちが悪く3年間寝たきりで、その妹を祇園女御・姉は毒殺してしまっているのだとか。清盛は祇園女御・姉に育てられる。その祇園女御・姉は鳥羽天皇中宮となる藤原璋子=待賢門院(第75代崇徳・第77代後白河両天皇の母。)を養女とし育てている。

白川法皇に言われて平忠盛祇園女御(妹)を妻としているが(ヤレヤレ^^;)、その祇園女御・姉に仕えるようにもなっちゃったり。忠盛の正室池禅尼という人脈があり一目おかれた方で、池禅尼は清盛の継母であり崇徳天皇の乳母でもあり。

他にも、いろいろ人物ありて、上手く見通せないけど、人間関係が兎に角複雑。源氏物語とは違って、平家物語は実話であるだけに、ある種エネルギーが強くて濃い。

祇園女御(妹)が清盛を産んだのは、なんと13歳(14歳だったかな?)かそこらの歳らしく、ほとんど子供が子供を産んだようなものらしい。お産婆さんがとりあげたのでもなく、今のように医療の設備がある訳でもない中、生まれる子供の足を自らが引っ張り出して(今は頭から出産だけど、この頃は足から産んだらしい)一人で産んだのだとか。・・・(仰天絶句)

12月に月足らずで生まれた所為で、清盛は身体が弱かったらしい。(確かに最後のひと月でぐ〜〜んと免疫力がつくと何処かで聞いたような)だから結局熱病で(マラリア、つまりは蚊ごときで)亡くなる事になる。身体は弱かったけれど、だから尚更たくさんのことを考え、頭は良くなった。

清盛は火(お不動様)を背負って生まれ、熱でうなされて亡くなって、そして平家は水をもって壇の浦に沈むことに。。。

その他、ジュサブローさんが話されたことは、このころ、身分高い人の子供で生まれたものは作法などを身につけるため小さい頃に(4、5歳頃から)奉公に出され、そこで行事、作法、お歌(句)や踊り、更には、どうやって子供ができるかまで教えられたのだそう。天皇は後継のため中宮や女御達の間に沢山子供を作るけど、皆がみんな天皇の後継ぎにはなれないから、寺の住職になったり、中には身代りにされて悲運を辿るものもあり。

平安時代というのは、私のイメージの中では、とても優雅なものだったけれど(絵巻物などでしか知らないけど、優雅だし、優れていると思う)、それとは違う側面での平安時代もあったのだなと、時代を新たに知る気分だった。

思えば、ピルグリムファーザーズがやってきたアメリカもネイティブの人達との争いもあるし、産業革命の華やかな時代の裏側にも大変なことは色々あったようだし、そんなものかもしれませぬが。

藤原頼長ちゃん、この人が悪いヒトでねぇ」とか、「待賢門院ちゃん、この人がまた本当に気の毒な人でねぇ」とか言われながら作品の前を歩かれる寿三郎さん。

その寿三郎さんが側を通られると、人形達がとても嬉しそうだった。人形たちは親であるジュサブローさんと魂が繋がっているのだなぁと思う。色んな歴史上の人達の言い分を背負っておられる感じで、背中に色んな人達の想いが繋がっているような感じがした。

『どんな想いであろうと、すべての想いを、私が引き受け、救いとりましょう』というような、そういったエネルギーがジュサブローさんから放たれていたようにも思う(そんなエネルギーが感じられた)。僧侶にかしずくような気分で、私は勝手に頭が下がっていった。

安徳天皇は生き延びて琉球で暮らしたという説を有力視されているのも興味深かった。あれだけの人形を作れる人だから、相当に平家のこともいろいろと調べておられるに違いない。

海の中にも竜宮がありましょうぞ、の竜宮は、実は琉球。あの「浦島太郎」の話に通じている。リュウグウリュウキュウ。安徳天皇は、歳をとるまでリュウキュウで生きた。

おばあちゃん(と一緒に安徳天皇は8歳で入水)の心情としては、可愛い孫を死なせたくはなかっただろうし、また物語が後世に長く引き継がれるというのは、やはりそれなりの何か強いものがあってこそ伝わるものだと思う。物語というのは、それに繋がる根も葉もあってこそ、強くなる。ヨーロッパの民話も、実話が物語のように話され、時代と共に少しずつ形を変えて、つぎへつぎへと語り継がれ、残っていったというものは多い。

会場の中ほどにあった平清盛(の人形)。不動明王(ジュサブローさんが作られた不動明王のポスター)の前にあって、見方によればタダの人形なんだけれど、そこの場の前に立つと手先はビリビリとしてくるし、目には見えない何かがあったのかもしれない。さすが清盛さんでございます。

他にも琵琶法師(琵琶を持つことができたのは、それなりの地位にあった、もしくはあるはずだった人に限られていたらしい)など、カッコイイ人は、崩れても、落ちても、それでも尚且つそのスピリットはすごくカッコよかった。いまどきのイケメン風にも見えた。

サイン会場で勿論、サインをしてもらって、握手もしてもらった。ジュサブローさんが人形の心の痛みを感じておられたからか、それとも、ひと針ひと針と、針のひと刺しが、私にそうさせたのか、どこかチクチクと小さな痛みが点在しているかのようにも感じられた。

今回気に入った平忠盛の写真を購入して帰る。単純だけど、カッコイイ人をみると元気になる(笑)。平清盛の写真は、さすがに買って帰る勇気なし。いくらサイン入りでも、あれはちょっと買えない。

9月末に、宮島の大聖院でも、空海を題材とした人形展があったようす。場所が変わると、また人形も喜ぶらしい。大聖院では寿三郎さんの人形展は二回目だったように思うけれど、またいつか、できれば宮島で、寿三郎さんの人形と会えますように。

おもしろかった。。。

帰りに、赤間神宮に寄って、今回寿三郎さんもお参りされたという平家の塚にお参りした。多分4、5歳の頃一度きているはずだけど、私の記憶にないので気持ち的にははじめての赤間神宮。境内の大きな松の木と松の木の間はとても気持ち良く、水色の空と濃く青い海と清んだ空気に朱色が映えて、美しかった。

「新八犬伝」の話も後日調べてわかったことを書いておきたいけれど、長くなったので、気が向いたらまた書こう。


後日追記
「新八犬伝」は全部で464話あったそうだけれど、NHKはそのテープを全部消してしまい、現在、残っているのは3話分のみらしい。ガーーーン。民間ではありえない話らしい。どおりで、その後映像を見ないわけね。300体ほど作られたお人形も、残っていないそうです。