ビアトリクス・ポター展@下関市立美術館

下関大丸からの帰り、下関市立美術館の横を運転しながら、今は何をやってるのかな?と首を横に振ると、なんと先日DVDを借りて映画を見た“ビアトリクス・ポター”の展覧会が会期中だった。ゆっくりと見る時間はないけれど、折角下関まできたので寄って帰った。

ビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter, 1866年7月28日-1943年12月22日)。
彼女の弟は寄宿舎に入って学校生活を経験しているようだけれど、彼女はその頃の裕福な子女がそうであったのと同様、学校へは行かず家庭教師から教育を受けた。義務教育で学校に通う私たちとはまるで違う時間を過ごしている。それぞれの良さがあると思うから、どちらが良いと言う訳でもないけれど、学校へ通わずクラスメートも持たず、彼女は両親やナースや家庭教師に見守られながら多くの一人の時間を過ごした。その彼女が、特別な観察眼を持つようになったのは、ある種当然かなとも思う。

展示された資料をみていると、彼女がとても細かく正確に、物事を見ることができる人であったことが良く解かる。

15歳にして、すでに暗号文字を独自に作り、その暗号を用いて、世の中の政治家や学者や画家などの批判などもしていたらしい。

発見された暗号文字の書かれた紙は、目測幅7cm長さ20cm少々位の小さな紙(ロール紙を裂いたような紙)で、その中にひと文字が2mm位のサイズの小さな文字で暗号文が書かれていた。

十代半ばでスケッチされたものは、1ミリ以下の詳細まで見逃してはおらず、深く丁寧な観察眼に驚く。隅々まで見逃さず、細部にわたって実に正確に描かれているので、蛾や蝶の幼虫のスケッチは、それが苦手な私としては近くに寄る気がしないほどだった。

コウモリも飼っていたらしく、小さく丸まったコウモリが3匹描かれたものは、体温さえ感じられそうな程にリアルだった。素晴らしい。

大きく(拡大して?)描かれた蜘蛛(体長25cm位?実際にあのサイズの蜘蛛がいたのだろうか?)は、勘弁してほしかったけれど、でも、彼女は、身近に登場するいずれの生命も興味をもって観察し、そして描いていたに違いない。

骨格のしくみに沿った体の動きを知るために、彼女は死んだ兎を肉がトロトロになるまで煮て骨格をとりだして調べることもしたそうである。

日本人の私たちが聴くと一寸ギョッとする話ではあるけれど、ピーターラビットの生みの親と言えども、勿論鹿や兎のお肉なども食べていただろうし(まあ私たちもお肉食べるけど)、文化的な事を思えば違和感を覚えるまでのものでも無いのかもしれない。

よく知られている事だろうけれど、彼女はキノコの研究をして論文を書いたり、環境保護運動にも熱心だった。16歳の頃、湖水地方で環境汚染について説明を受け、その頃から環境保護運動に関心を持つようになっている。そして晩年はイギリスの湖水地方で、広く牧羊場を購入し、経営した。湖水地方の美しさが失われないために。

私が展覧会で心に残しておきたいと思ったことが2つある。

1つは、あの有名なピーターラビットのお話が一人の子供に向けて描かれたものだったということ。「頼まれて書いたのではなく、ひとりの子供に向けて描いたのです」と彼女は書き残している。

そして、もう1つが、彼女が39歳の時に婚約した彼(彼女が持ち込んだ本を出版にこぎつけさせてくれた人)から贈られた指輪を生涯右手の薬指にはめていたということ。婚約者だった人の写真も展示してあったけれど、ちょっとユニークな感じで妖精のような魔法使いのような感じを受ける素敵な人だった。因みに、婚約した相手は婚約してから1カ月後に白血病で亡くなっていて、その後40代半ば(?だったかな)で3歳年下の土地売買に関する弁護士と彼女は結婚している。

大切なものは、ずっと大切にしなければいけません。そして引き継がれるものは、個を超えて流れの中で引き継がれていくのでしょう。

千趣会で揃えたピーターラビットの小さい絵本は、本棚の高い所にならんだままになっているけれど、この秋、久々にまたゆっくり開いてみようかな。

http://www.peterrabbit.com/jp

特別展 ビアトリクス・ポター™展
 −イギリスの自然を愛し、ピーターラビット®を生んだ画家−

2010年9月16日(木)〜10月24日(日) 月曜休館
午前9時30分〜午後5時 (入館は午後4時30分まで)