Dialogues in the Dark(光・身体・闇)〜Tremolo Angelos〜

日曜日に大槻さんと谷本さんのユニットTremolo Angelosの公演「Dialogues in the Dark〜光 身体 闇〜 」を観に行った。場所は今回初めて足を運んだ関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)。因みに今回一緒に行く予定だった人は、前日のライブで朝帰りとなりキャンセル。

感想を書いておこうと思うのに、暫く言葉にならないでいた。いつもながら、余りにインパクトが大きいと、自閉症の子供のように喋れなくなる。大きすぎて書きたいのに書けなくなるくらいの作品、時間だった。私に、あの時間は、これからも生きて終わらない。

公演は、なんと表現してよいやら解からない。良かったし、スゴイ作品だった。でも取り上げている題材が題材だけに、良かったという言葉で表現していいのかどうかわからない。妥当な言葉がみつからない。私が良かったとして言葉にするものより、遥かにどうしようもなく重く深いものが内容的にも時間的にも含まれるし、良かったとして過去形にも出来ない作品である。言葉を書くことが好きな私なのに、言葉にして上手く表現できない。私は、この日みた作品、あの場にいて知ったことを、感じたことを、死ぬまで持って行くだろうし、また持ち続けていかないといけない気がしている。そして時に語る必要がある気もしている。

今回は土日の2日で3公演。谷本さんと大槻さんは土曜日の深夜0時〜も他の舞台に参加されているみたいで、まったく何という人達でしょうか(笑)。

今回の公演の案内をもらったのは、先月末だったか今月あたまだったか、その時は然程でもなかった期待感?も月半ばになると段々とアップ。実際に内容を練って行かれたのは、公演の2週間前位のようす。

「Dialogues in the Dark」は2010年1月に広島kobaという所で一夜限りの即興ライブとして企画されたものであったらしい。呼びかけ人は、なんと湯浅正恵さん!私が今月のはじめ「上関原発計画についての意見広告のためのカンパのお願い」と題した転載記事をこのブログに載せて、コメント欄に記入をもらった人ではありませぬか!。気付くのが遅いけど、資料を読んでさらに、終わらない何かを感じる。

日曜日の公演は16時からで、時間にならないと開場に入れず館内をブラついていたら少し入場が遅くなった。開演時間を気にしながら、席に着く前に展示の資料に目を通していく。ノートパソコンが何台か置いてあって、様々な映像が流れていた。黒田征太郎さんの画によるアニメーションを見たいと思っていたけれど、画面が小さくて見辛かったこともあり、大きめのパソコンの画面に流れていた映像の方に何気なく足が止まった。

一瞬声にならないような声が出てしまった。その後少し呆然としてPCから流れる映像を追っていた。TV局では扱われないような、一般には流れることのない映像。ガザで使われた劣化ウラン弾の犠牲になった子供たちが映されていた。がれきの中から出ている少女の頭部(あるいは頭だけだったのかもしれない)や、手足が吹っ飛んで、血まみれの肉の塊になったものもあった。一見で物語る現場の状況。静かに少女の頭部を心の中に抱いた。こんなことになる、この必要が、あろうか?これに対して、どのような正当な理由をつけられようか?集まった人達がいてくれてよかった。一人孤独に見ていたら辛すぎたと思う。

映像を見ていたら横に人が来られていて、「もし希望されるようだったらこのDVDは差し上げることもできますよ」と声をかけられた。「あぁ、そうなんですか。」と返事をしていると、今回スタッフとして場におられたIdumittyさんが側に来て下さって、「こちら湯浅さんですよ」と紹介して下さった。「え?湯浅さん?!!」

ブログに上関原発に対する意見広告に関しての件を転載するときに、湯浅さんってどんな人だろう?と思った。脅される可能性は充分ある。巨大企業のエグさなんて半端じゃないし、何をしてくるか解からない。私だったら怖くて到底できない。それを発起人となってやり始めてしまう人。一体どんな人??

その湯浅さんが会場に来ておられた。世代的には私と一緒位?で、遠巻きにみると飾らない感じの美人で可愛い人だけど、側に寄ると、なんだか大きくて温かいものが伝わってくる人だった。開演時間になって殆ど話らしい話も出来なかったけれど、湯浅さんご本人に直接お逢いすることができて良かった。この人と想いは一緒と思うと、力が湧く。

公演後に、私が見た映像(DVD)を提供された服部さんという方が側に来て下さった。衝撃的な映像に頭が一杯なってしまい、私の無知も相俟ってしっかりと会話をすることができなかったけれど、住所と名前をお渡ししたので、もしかしたら、DVDを送付して下さるかもしれない。

公演は、私の内側と外側を見せてくれた。私の思考以外の所にも入って行った気がする。そして不思議な事だけれど、暴力的でもイケイケゴーゴー的作品でもなかったのに、何か非常に大きな力を貰った気がする。こんな舞台はそう見れるものではない。重い内容であるのに、前を向く勇気も持てるという、私にはレア度の高い公演だった。

重い内容を横に置いてみたとしても、舞台センス等とても良い作品。演奏もホントに美しかったし(一人何役?)、衣装もとてもステキだったし(森の妖精の衣装のグラデーションは染められているのだろうか?)舞台の上に映写された映像もとてもよかった(ワイドな画面はやはり良い)。関わった人達のセンスと心が、それぞれに出しゃばることなく、でも確実に伝わってきた。そして勿論、その内容の伝えられるべきものは、きちんと伝わってきた。

即興演奏×身体表現。二人でやっておられるのだけれど、舞台は多層で、立体で、そしてシンプルに美しいものだった。見る側に何かを強いる訳でもないのに、深く穏やかに何かを感じさせ、伝えられてくるものがあった。多様で能力・経験値共に高いお二人が組むと(勿論谷瀬さん、湯浅さん、スタッフはじめ裏方の人の力も勿論沢山ありますが)こうなるんだなぁと実感した。

抽象化されたものが本当に洗練されていて、自分の内側と外側の両方を感じる。そしてそれらは自然と合わさり繋がれていく。より遠くへの繋がりも確かに感じるような気がした。それは、はじまりの予感も含んでいた。

日曜日は上演後にアフタートークがあった。東海村で起きたJCO臨界事故の事は、具体的な内容など一つとして知らなかった。事故があって、それが重大な出来事であっても、取り上げられなければ消えて行く。意識していなければ日々の騒々しい情報に小さな記事はかき消されていく。

知らなかったけれど、JOC臨界事故では660名(664名)の被爆者と2人(3人との記事もあり)の死者も出している。そんな悲劇的で重大な事故であったにも関わらず、多くのというか殆どの市民は、事故に関しての事を知らないのではないだろうか?これだけ重大な事故があったというのに、私はまるで具体的な事実を知らずにいた。

今回の作品は、大槻さんが湯浅さんからJOC臨界事故で亡くなられた大内さんの身体を踊ってもらえないかと言われたことが発端となっているらしい。顔面包帯グルグル巻きで舞台に上がられた大槻さんも不自由で息がしづらく台詞も言い辛かったのではと思う。モデルとなった大内さんの痛みや苦しみは勿論それどころではなかったろうけれど、それでもその身体を踊るということは、その身体を引き受けるということ。普通ではそんな役はできない。余程のバックボーンと確かな想いがなければ演じられるものではない。

JOC臨界事故の現場で働いておられた大内さんという方は、強い放射線を浴び遺伝子に損傷を受け皮膚が再生されなくなってしまった。私達の皮膚はターンオーバーされて新しく再生され続けている。その皮膚が剥がれ落ちたまま再生されないということは、つまり筋肉や神経などの(人体の不思議展に行った人だったらリアルに想像つくだろうと思うけれど)組織が剥き出しになったままになるということ。皮膚移植も何度も行われたらしいけれど、結局包帯グルグル巻きで、被爆から3か月後に亡くなられたそうである。

想像したくはないけれど、チェルノブイリでは棺桶に入れられた人間が現地でコンクリートの(建屋の?)中に詰められてるいるらしい。何故かというと、一度強烈な放射線を浴びてしまうと、その人間からもずっと放射線が放射されるようになってしまうからなのだそう。土に返ることなく、これから、何年も、何十年も、何万年も?コンクリートの中(コンクリートが持たないね、その時、どうするの?どうなるの?)。

今回の公演であらたに知った事。知るには、聴くには、見るには、辛すぎることだけれど、共に知っているということ、それがなんとか救いになる。亡くなった人にとっても、私にとっても。お互いに知って、そのことを共有していること。

このようなことを、何も知らずに生きて死んでいく人もいる。私もあえて知らなくてもいいと言えばいいような事だと、言えなくもない。けれど、やはりそれらに知らずのうちに顔は向いてしまうし、足を運んでしまう。私の一つの業なのだろか。それでも、それを、肯定しよう。

今回の公演は、勿論内容に関心がなかった訳ではなかったけれど、谷本さんと大槻さんが組まれるというので、見に行ったところも大きい。ミーハーという部分がなくもない、というか、ミーハーな部分がかなり大きい。実際、私は周囲の人に大槻さんのファンである!と折に触れ言っている。(ご本人さんはそういう風に言われるのは好きじゃないと思うけれど、アシカラズ。)

身体表現やお芝居などというジャンルには、生まれ育ってきた経緯であまり縁がなく、特別に関心がある方ではなかった。そういったものを見る機会もそれまで殆どなかったように思うけれど、偶々大槻さんを知って、面白いなと思ってファンになった。この役者さんがおられなかったら、今回足を運ぶこともなかっただろうし、今回のこの上演も見ることがなかっただろうと思う。大槻さんのブログも時々読むけれど、やっぱり良い(ええ、ミーハーです・笑)。ありがとうございます。

谷本さんは「新しい天使」を観に行った際、初めて音色を聞いたと思うけれど、あの時は芝居の内容を理解しようとするのがやっとで、あまり聴けていなかった。その後、その多才な才能や各地での演奏を知るようになり、タンゴの演奏などにも少しずつ魅せられていった。もしアメリカ(バークレイ?)留学から帰られて音楽業界だけの世界でプロになられていたら、今とは全く違う人生の路線を歩んでおられたのだろうけれど、この世も谷本さんも、その方向をあえて向かなかった?。数々のヒューマンな活動と尽力、その才能に頭が下がる。

谷本さんは、近年また音色を美しいなと思う。美しい音色というのは、すなわち多くの人の悲しみや辛さを含めてのさまざまな感情を知っているということと繋がっているのだと思う。拾ってこられる音がまた興味深くて面白い。今回は、会場の天井が高かった所為もあって、高い所から音が下りてきて、頭を撫ぜてもらったような気分になった。谷本さんの頭の後ろが何処かの星と繋がっているようにも感じられて、この方はどの星から来ておられるのかなぁ?とそんなことが頭をよぎる事もあった(笑)。マイナスなものに共鳴しすぎて身体壊さないようにして下さい。

今回は、以前何度かお会いした事のある谷瀬さんにも握手魔の私は握手をしてもらった。谷瀬さんの懐には豊かな海が広がっていて、そこには自由に泳ぐ沢山の命があって、そしてそれらは温かく見守られている、そんな感じを受けた。何ができて、そのために何が必要かということの判断がその広い視野から明確でき、行動できる人。見守る事のできる人。人を信頼することのできる人。私より遥かに大人である人。この人もスゴイ人だなと思う。きっとこれからも色んなものを推し進めて下さるに違いない。

それから、いつも案内を下さるIdumittyさん。確かな自分のある美しい人。姿をみると、いつもとても安心して、落ち着く。何気にいつも声をかけて下さることをありがたく思う。今回もありがとうございます。いつも感謝しています。

この作品は、このまま終わらせてはいけないものだと思うし、何十回も何百回でも再演されつづけて欲しいと思う。海外にだって出せるくらいの作品だと思うし、本当に持って行ってもらいたいくらい。伝えなければいけないと、強くそう思わせる作品。これからも、ずっとずっと公演が重ねられて、偏って存在してしまった苦しみや悲しみが共有されて、何か他の希望のようなものに変わっていきますようにと祈る。それは自分自身へも、そうだといいなと、ちょっぴり思う。

また何処かでこの公演を私はみるだろう。きっと。その時は、今よりもう少し希望側に寄っていたい。

http://t-etc.net/a-tenshi/tremolo_angelos.htm