78回目の原爆の日

広島市民、広島県民の人で、原爆を是とする人は、ほぼいないと思う。それはやはり、子供の頃から原爆の惨状について知る機会が多くあるからだと思う。非核兵器国のドイツは第二次世界大戦の事をしっかりと検証し大人も学生も学び直したから、今のドイツの姿勢があると思う。(ドイツは核兵器不拡散条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons:NPT)の締約国として、NPT第2条に基づき、「核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しない」義務を負っている。) 
育による影響は大きい。
私は広島のお隣りの山口県人。小学六年生の時の修学旅行で広島の原爆資料館に行った。入ってすぐに展示してあった蝋人形は一生消えないほどのインパクトだった。全身被爆して皮膚がずり落ちてしまっている両手を、前に突き出し歩いている姿は強烈で、怖くて心細くて、皆その日の夜はなかなか眠れなかった。因みに今はその郎人形は展示されていないらしい。被爆後の人体の写真、街の写真、熱線で曲がった展示物、原爆の恐ろしさは、深く強烈に心に刻印された。

原爆が落とされたその場所で、どんなことが起きたのか、その実相を知ることは、とても重要で大切なこと。全世界の小中高校生に原爆の事を知って欲しいと思う。G7のみならず、各国首脳は、必ず一度は原爆資料館に訪れて欲しいと思う。世の中の一部の人間は、悲惨さを知っても自身の莫大な利益の為には核を否定しないようだけれど、それでもより多くの世論が非核をジワジワ押していけば、莫大な利益に喜ぶ力は萎えていく。

今年の原爆の日原爆資料館に多くの人達が行列となって訪れている映像が映された。外国からも過去最高の人達が足を運んだらしい。少しでも多くの人が原爆の実相に触れる事はとてもありがたいこと。きっと原爆資料館に行った人は、自身の周りの人に余りの惨状を伝えると思う。伝えないではおけないと思う。

ウクライナとロシアの戦争で、プーチンは核使用もちらつかせているらしい。核抑止力は、無秩序な世の中になれば、抑止にはならない。核保有国のリーダーは、使うと思えば使うだろう(使わないとも思いたいが)。戦争になれば、人の健全な思考は止まってしまうし、健全な感覚も失われる。戦争になれば、モラルもへったくれも無くなる。思考は自分達に都合の良いようにのみ固定化されていく。高慢な人間の偏った思考は、変わることはほぼ無い。

毎年、原爆の日にそれなりに核や戦争について考える。平和というのは、状態であるから、キープできるように行動を伴わせつつ、考え続けなければいけない。

今日は久しぶりに、原爆の日の式典に足を運ばれている澤地久枝さんの姿をTVで見た。御年92歳であるらしいけれど、頭の回転の良さは、喋りっぷりからも良く伝わってきた。ご存命かどうかも知らずにいたけれど、お姿拝見できてよかった。

核は戦争で使われる。戦争は格差が大きくなればなるほど勃発の可能性が高まる。そう考えれば、具体的には、少しでも格差が減っていくようにと願う。ㅤ
個人的には、エネルギーの浪費を少しでも少なくできるよう心掛け、なお且つ健全な笑い、楽しさ、面白さと共に生きていけるよう努めたて行きたい。