原爆の日

今年も8月6日がやってきた。8時15分にテレビの前にいることができないので、7時代のニュースを見るべくテレビをつける。

朝早くから原爆慰霊碑の前に人々が集まってきておられた。お数珠を片手に顔をうずくめるようにしておられるおばあちゃん。毎年、8月6日、あの日の惨劇が、心に再生され続ける人達がいる。心の中で抱きしめると、勝手に涙が落ちていく。

いくら、私が想像をめぐらしたり、資料でそれを知ることはあっても、その現場であった悲惨さは、リアルな悲惨さは、当事者でないと解からない。莫大な量の、物語る現実。

地獄絵図。でもそれは、絵などではなく、この世の、現実の中にあった、地獄。
その地獄の中にあったということが、どういうことか。
その熱さ、痛み、臭い、地獄のような景色。髪の毛は逆立ち、肉が焼け落ちた人々。両手を前にだして、水を求めて、家族を探して、さまよう人達。
そして、その後、蝕み続けたもの。心だけでなく、身体にまで、DNAにまで深く残したもの。

8時15分。静かに、掃除の手を止める。「私も朝から、テレビで熱で曲がったお弁当箱をみていたら、泣けて泣けて、、、」と同じように箒で事務所をはきながら私に話して下さった人と共に、しばしの間、黙祷をした。

心寄せる人達がいることは、私への大きな救い。事務所の人間であろうと、駐日大使であろうと。

今年は、今までの8月6日の中でも特別な8月6日だった。心の中で、私の大切な人に語りかけた。「今年ね、いつもと違うよ。・・・・」大切な人が、大切に想った気持ち。勿論、核武装を必要としている人が多いのは知っている。それに賛成はしないけれど、気持ちが解からないわけではない。

それでも、軍縮に向かう方向に向かおうとしていることが、日頃は映し出されない映像が流れることが、嬉しかった。

一番泣けた8月6日だったかもしれない。でも悲しみや憐憫だけから泣けたのではない。プラスでもマイナスでもなく、悲観でも楽観でもない。言葉にはならないけれど、大きい何かがそこにあった。

今年、初めて、国連事務総長アメリカ駐日大使、そのほか、アメリカ、ロシアに続いて数多くの核実験を繰り返してきたフランス、イギリスの代表も出席。米駐日大使は献花もスピーチもなかったらしいけれど、それでも参列してもらえたことは、非常にうれしいこと。各国メディアも7ヶ国も増えて10ヶ国だったらしい。ありがたいこと。

もっと、広島長崎に投下された原爆に関しての事実が、世界に広まっていきますように。