広島原爆忌75回目

昨日は、広島に原爆が投下されてから75年目の8月6日だった。今住んでいる所では8時15分にサイレンが鳴らない。全国一斉に鳴らしてくれたらいいのにと思う。75年前の広島は、今頃、地獄だったのだと想像する。

記憶が定かではないけれど、父方の祖父は爆心地から2.8km位の所で被爆したときいたように思う。祖母は原爆投下後の広島に祖父を探しに行ったという話を小学生の頃?聞いた。今ほどの通信網も無い中、祖母は、よく祖父を探せたと思う。

祖父は被爆者で、祖母も原爆投下後の広島を見てきているのに、もっと話を聞いておけば良かったと悔やまれる。同居していたらもっと聴けただろうか?思い出したくはない記憶だろうから、同居していても話は聞けなかったかもしれない。

今年もインターネットを通じて、新たに知る写真や文書があった。歳を経てから知る情報は、若い頃とは違う視点でみることができているように思う。人間というものの、恐ろしさ、愚かさ。今を生きている人間も、きっとそう変わらない。状況や環境の変化で、人間なんていくらでも変わってしまう。

原爆を投下した人たちは死ぬまで投下したことを悔いてはおらず、投下の後自宅にもどり、普段の生活を送ったらしい。これもまた人間。知っておかなければいけない。

今年、希望が少し持てたのは、アンケート調査ではアメリカの若者の?7割以上が原爆を必要ないと思っているということ。新しい兵器があるからというのもあろうけれど、色んな情報が開示されるようになってきて、人道的にゆるされるものではないと思う人が少しずつ増えてきているのだろう。下手に誘導された情報ではなく、現実を知ることが大切。そこに生きた、そこに居た人の現実を知ることが大切。

今年、前米大統領オバマさんが参列されたらしい。バチカンのトップも原爆地広島を去年?訪問され、今、核廃絶を訴えておられる。

これからも、ずっと忘れてはいけない日。

いつまで覚えていられるのか解らないけれど、忘れてはならない日。原爆の日