死刑の執行

昨夜偶々つけていたテレビから「本日、二人の死刑が執行されました」というニュースが流れてきた。聴いた途端に重苦しくなり、微かな怒りのような感情と共に暗く灰色な気分になった。

「誰が執行したんだ?」とテレビを睨む。政権もコロコロ変わるし、今だれがどの大臣をやっているか知らず、どんな(男性)議員が執行したのだろうと思ったら、死刑廃止を求める側にいた女性、千葉景子法相。参議院議員選挙で落選し、議員としての資格を失う直前に死刑執行の書類に署名をされたらしい。

昨夜見たテレビでは、千葉法相が参議院選で敗れて…等、党内外の権力争いに映る映像ばかりが流れていた。そしてコメンテーターの星野元監督さんが、遺族のせめてもの慰めの為にも、死刑は賛成であるとコメントされていた。

死刑執行のニュースを聞いて、一体どういう人!?次回からこの人選挙で選ばない!と思ったけれど、引き続いてずっとニュースを聴いていたら、なんだか「何かをつきつけられた」気がしてきた。

私個人としては「死刑廃止」を望んでいる。なぜならば「死刑廃止が犯罪の抑制にはならない」と思うし、「国家であっても人を殺すことは許されない」と思うから。国家が下した判断としても、国民が代表を選んでいるとするならば、私たち個々人が死刑執行をしていると言える。私個人は、誰かを殺したくは、ない。

殺人なんて、自分と他人を追い詰めて、追い詰められて、犯してしまうものだと思う。いくら周到に計画した犯罪だとしても、やはり、徐々に、追い詰められて、追い詰めて、しまったのだと思う。

千葉法相は、死刑執行に立ち会い、それを見届けられたそう。法相が死刑執行に立ち会ったのは初めてのことらしい。その覚悟、並のものではなかっただろうと思う。千葉法相はひとりの人間でもある。とすれば、一生十字架を背負うことにもなりかねない事を、敢えてされたわけである。「死刑を執行するということは、こういうことです。」ということを、よりリアルに国民に知らせようとされたのだと思う。強い強い意志を踏まえてのこと。単純な死刑執行への批判だけでは終われなくなった。

党内外の権力争い、世論、次回の選挙、それらとの関係があってとのことといえば、それも言えるだろうけれど、でもそれ以上に「きちんと、死刑について、もっと深く個々人で考えてみて下さい」との強烈なメッセージを残したかったのではなかろうか? この人(千葉法相)はすごい。

諸外国において、ヨーロッパの殆どの国、先進国の多くの国では、死刑は廃止になっている。大人の国々だと思う。

昨夜のニュースでは、死刑賛成が85.6%だった。そんなに高い数字なのかと驚いた。反対は15%少々。割合比からすれば、私はかなりのマイノリティー

見落とされやすい人が増えてきていると思う。一概に言えないけれど人口密度の増加と犯罪の関係もあるのでは?という考えも昨夜は浮上した。成熟した心でもって、もれなく人が見守られること。とても大切なことだと思う。これがないと犯罪は増加するだろう。それぞれが懐深く大きく温かく見守られ、充分に安心できるよい繋がりを得られていたとしたら、犯罪はほぼ起こらないだろうと思う。

犯罪というものは、ゼロにはならないのかもしれないけれど、簡単に死刑にしてしまうような心の方向には向かいたくない。そういう集団心理にも飲まれたくない。そして、『罰することで犯罪がなくなることは、ない!』と私自身は断言したい。そう納得しつづけていたい。本人が充分に気付けたら犯罪は無くなる。それが難しいことも多々あるけれど、なるべく色んな視点から理解する方向に心を向かわせたい。

正直を言えば、死刑執行のことなど書き記して残しておきたいことではない。気持ちどんよりしてくるし、気持ちのよいことではないし。でも、私の意思を確認するためにも、嫌なことだけど記しておく。