田ノ浦少しずつ変わっていっている

外側に問題を見ると、自分の中の問題を見せられる。問題が大きいと、大きい自己の問題も浮上してくる。

原発に関して連日何かを読んでいたり、同じ話題で何度も日記を書いたり、考えたり、感じようとしたり、よく解らなかったり、読み直したり、自分に空爆を始めたり(オイオイ^^;)、、、。

日曜日は、原発とは別件で、ちょっとした事が引き金となって自分空爆をはじめてしまい、止まらない止まらない。お〜い!と自分の名前を呼び続けたけれど、一日中かなりどっぷり悲惨な状況だった。

夕方になって、悲惨に疲れて外にでたら、いつの間にか水仙が沢山咲いていて、知らぬ間に花に心が治療を受けていた。摘んで、匂いをかぐ。あ〜いい匂い。ど〜しようもない悲惨さも、救うのはこんな身近にあった自然の花や香り。

なんだか、花になりたいなって思った。


2、3日の間、二井知事が、もし変わるとしたら、何によって変わるのかなぁと考えていた。大切に思う人が賛成ならば、その賛成の人を守りたいから賛成なのかなぁ、とか。もし賛成の人が、原発なくてもいいって思えたら、それがより多数の世論によってそう思うようになるなら、やっぱり世論だなぁとか。アタリマエスギ…

私は自分自身を守ることも、周りの人を守ることも、力がなくて出来ずにきた人だから、守るという意識に欠けているかもしれない。だから相手のことが解らないのかもしれない。。。

つっかい棒が外れるのは、それが良かろうって思うのは、それいいじゃ〜んって思うのは、批判からでは生まれづらい。現場に行ってみたり、事実の追跡をすることも大切だろう。

昨日はイメージの中で、仲良くなるにはまず食事だ!とばかり敵味方無しに皆で1m以上ある鍋を囲んでいるのを想像してみたり、警備員のオジサン達も疲れるだろうから飴を配ってみる想像したり(←OLさんじゃないんだが^^;)あーんって金平糖を口の中に入れてみたり、ヘルメットの上からナゼナゼしてみたり、高いところから海岸に向けて、問題が情報の粒となって全国に飛んでいけ〜〜とフーッて吹き飛ばしてみたり、、一人でそんな馬鹿な想像を繰り広げた。(アホ!笑)

原発に関しては、「石油等エネルギー資源に乏しい日本で、原発はやむをえないでしょう」という人。「原発自体が問題というよりそれを巡る人同士のコミュニケーションに問題ありな気が…。」という人。「ここは日本の縮図となっている。人の心の反映で、今それぞれの心が問われている」という人。

時には、言葉じりに捕らわれて、一人ムキになってしまっている私がいたり、でも、色んな人の意見や行動に触れていると、人それぞれ捉え方色々だなぁと思う。そして、それぞれ、そうだなと思う。

先週わずか1日だけだけれど、現地にいった際、ハングリーボーイズの1人だった男の子が「あなた達は悪くないっ」と警備の人達に言っていたのには少々驚いた。批判的な要素もたっぷりだった私は、まいった。思いもよらなかったその言葉を躊躇しながらも少〜し頭でリピートさせると、少しずつ、なるほどという気分になる。想いや言葉は多分現実を連れてくる。私も心から信じる事ができる肯定の言葉を少しでも送ろう。

昨夜読んだマイミクさん転載分の原発によせる記事も、1度読んだだけでは私的には上手く捉えられなかったので、前の記事から辿って何度か読み直してみた。私とは全く違う視点。高いところから見るゆるい視点。高い所からの視点にも色んなのがあるのだけれど、月光が降り注いでいるような感じ。はじめは上手く読めなかったけれど、何故か、これで大丈夫だわ、と思えた。(mixiのpulsemoonさんの2月28日付日記参照)

すこしずつ、変わっていくような気がする。そして実際変わってきた気がする。
そして、私の中もすこしずつ変わってきた気がする。
どこからでも、ちょっとずつやっていきましょう。どうも、事態はそれで変わるようだから。