「ニワトリはハダシだ」

チラシをもらったとき気になっていた映画を、いつものように、どうしようかなぁとウジウジ考えていたけれど、やっぱり気になって観にいった。タイトルは「ニワトリはハダシだ」。気にとまった理由は多分このタイトルのユニークさと、そのチラシの中の男の子の雰囲気がとても良かったから。2003年月に公開になった映画で、山口では未公開作品で文化庁日本映画上映支援事業らしい。
社会問題にそれほど詳しくない私が見ても、社会問題を沢山感じることができたし、そして日常から突飛に離れていない所からにじむヒューマニティがとてもよかった(というか、その人の持ち味をはなれて不自然だったり、過度な演出が個人的には余り好きではないので私的に見易かった)。
舞鶴という舞台もよかった。行った事は無いけれど、長閑な海があって、水運があって、そこに人情味のある庶民の暮らしがある。ごく普通の日常にある普遍なものって、とてもいいなって思う。どんな場所にでも、どんな世界にでも愛はあると知ると、心が安らぐ。味わいは違えども、どこにでも、楽しさもある。
ニワトリはハダシだ」とは「わかりきったことのたとえ」らしい。とてもおもしろかった。

ストーリー:京都の舞鶴で育った15歳の少年サムは知的障害を持っている。そのサムが人並みはずれた記憶力を持っていたために警察の汚職事件に巻き込まれていく。

海辺・動物達・共同施設・お祭り・正義(反正義)・権力・汚職・障害児・お風呂・過労・夫婦愛・親子愛・警察・重機・ベンツ・賄賂・離婚・戦争・沈没船・在日朝鮮人・潜水夫・etc.

http://www.ycam.jp/?module=event&action=show&id=324


スタジオAでは、カールステン・ニコライ|シンクロン というアート作品の展示があった。ドイツで制作・展示されたもので、アジアではYCAMのみ公開されるアート作品なのだそう。無料とのことで観てみたが、ああいった作品は、いぶかしげに考えながら見てしまう私だけれど、多少見慣れて?きたのか、作品に委ねる気分までにはなれなくとも、キレイだなって思えて、聴覚的にも違和感なかった。ホワイトノイズみたいな音が多かったように思う所をみると、脳の波形(アルファー波)効果などもねらっているのかな。

隣の男の子(5〜6歳?)に「キレイね、面白い?どんな感じ?」と軽く声をかけたら、「雷みたい,画面が変わるんだよ,寝転んでみるといいよ,学校で(この展示の)お知らせがあった etc.」お話してくれた。子供ってよいね♪
YCAMの設備(施設)があってこその展示なのだろうと思われる。広く、開放的な空間(建物)は山口とは思えない心地よさを感じさせてくれる。しかしここまでのものを税金で作る必要性があったのかな?と未だに思う。でも折角なのでありがたく今後も時々利用させて頂きます。

もう少しゆっくり見ていたかったけれど、4時からの今年最初の坐禅会に参加したかったので、そそくさと帰途へ。余り長く居たつもりはないのに、思った以上に時間が経っていて、どう考えても4時には間に合わないなぁと思い、途中何度も、今日は止めにしようかなと思ったのに、勝手にアクセル踏み続けて、あらら、あらら、と、坐禅会場のお寺までついてしまった。そして10分少々遅刻したのに、ほぼ最初から座ることができた。お寺までの道中に何故か頭にはぜんざいがちらついていたら、茶話の席で、今日は初観音だったそうでお接待用に用意されたらしいぜんざいをYYが私たちにもふるまってくれた(笑)。

茶話会の途中で郷土の歴史研究家のY村T雄さんという方が来られ、お寺さんとの打合せの後、私たちに郷土の歴史やお寺(弘済寺)の変遷などお話をして下さった。とても詳しく調べられているようで、国会図書館にも著書が保管されているらしい。本堂の脇の別棟に薬師如来坐像があるが、坐像であるのに高さが2.5mもあり、時代的には室町時代からあるものらしい。
また、丸尾という土地ははじめ25人の漁業を営むものが移り住み、それから、村が開けていったらしく、一時期は宿場町として賑わいを見せたときもあるらしい。住民気質としては、基本的に外部からの進入者を気持ちよく迎え入れる気分に富んでいるとのこと。そして、閉鎖的な側面もあるが、付き合ってみると、がっちり内側に取り込んで捕まえて放さない人達(土地柄)であるらしい。

今日は見知らぬ路地を走っていて、山口では小京都という佇まいを残しているのを感じたし、丸尾は海辺の町の佇まいを感じた。路地を走りながら、土地柄っていうのはあるなぁと実感していた所だったので、とても興味深く面白かった。

大寧寺で自害した大内義隆は最初、弘済寺(現在地とは場所は異なる)で自害する予定が叶わず大寧寺で自害する事になったらしい、と帰りの車中でYYのお母さんが教えて下さった。龍福寺で大内義隆の事を少しではあるけれど知ってから、お気に入りの人になっていたので、この話にも驚いた。

とても有意義なありがたい1日だった。