スタジオイマイチでダンスを観る

誘われて、訳も分からずコンテンポラリーダンスを観に行った。特別にダンスに関心がある訳ではないし、今までもほぼ縁があった分野ではない。踊ることが好きな人は周りにいるにはいるが、私は踊らない人だし、私のアンテナにコンテンポラリーダンスがひっかかってくることはない。会場へ向かう途中も、やや拒否反応?と思える感覚がしてきたけれど、お化け屋敷に入るよりはマシっと思ったので、何がなんやらよーわからんが、まあ、行ってみるか、とばかり、会場であるスタジオイマイチまで足を運んでみた。

一番最後に入場して一番前に座ることになった私の目の前で主催の方の説明が始まった。なんだか若い人の事はよーわからんなぁ、と思いつつ話をきく。天然素材っぽいスーツの足元は何故か裸足で、スーツにハダシ??と若干不思議に思いながら話をきいていたら、そのうちに主催の方が服を脱ぎ始められた。ええ?って言う間にほぼ全裸(ベージュの下着はつけておられましたけれど)。眼が点になる。

コンテンポラリーダンスは、女性3人と男性1人によるかなりヌードに近いダンスだった。何も知らずに行った私は始め唖然としてしまったけれど、ヌードと思えば、ゲゲッと思ってしまう私なれど、ダンスと思えば、気も変わる。そう、これはコンテンポラリーのダンス(表現)。

解説によると、今回の作品は、手塚治虫の「ヌーディアン列島」という作品に着想を得て作られたものであったらしい。私個人は手塚さんのマンガはほぼ読んだことがない。でもさすがに手塚さんの作品だけあって、とても本質的。そして今回のコンテンポラリーダンスはそこに着想を得てのもの。なるほどね、といった感じだった。否定的感情をなくしてすれば、裸は気持ちがいい。因みに、昆虫や動物って、あれやっぱり裸ってことになるのかな。カエルもバッタも裸。いいね。

主催の方のダンスは、新しい世界に、ジイドじゃないけど、狭き門より入れ、みたいなことも感じさせて、おもしろいなと思わせた。世代の違いからか、若い女の子たちの表現するものの中には、ピントがあわず面白さのツボが合わないなぁという思いになるものもあった。世代の差、関わっている場の差、これらの差による私の感覚のなさはある種仕方なし。意識下に上って来ないものは何を観ても意味をなさない。私は作品の中に見たいものを見、共感するものに共感する。

興味深かったのが、ダンスが終わってからスタジオイマイチの下にあるマングローブで一服していた時、踊っておられた女性2人と少しお話をさせてもらったとき、とてもすっきりとよい表情をされていたこと。

裸になって踊られた後のダンサーの方の表情の良さは格別だった。「裸のまま、これが私です」というのを出された後の、なんともスッキリとした表情。

人間、なかなかスッキリできないものだけれど、踊ること、裸になること、それらのことは、心身をスッキリさせるのだなと思った。そのままに「これが私です」を表現すること。ある心根の元では、とても健全になれることでもある。

誘ってくれたMちゃんと、主催の方が仲良しみたいだったこともあり、帰り間際に主催の方と少しお話をする機会があった。

「これは、何か相手に分かってもらおうという意図あってのものですか?」などと訊いてしまった。「勿論、アンケートをお願いしている位ですから、気付きを意図して作っています」との返答。少々門外漢でもあった?私の馬鹿な質問は、お許しあれ。まあでも、それも一人の観客の感想ではあります。

楽器を持つとか、何か他の物体(媒体)を通して表現するのではなくて、本当に直接的な表現媒体である人間の肉体。今までほぼ興味なかったけれど、意外と身体による表現というのは、素晴らしい表現方法なのかもしれない。