9月4日、まなまなにて

久しぶりにまなまなでカレーを食べた。雨降りの平日はお客さんが少なめで、穏やかに過ごせるこんな日はありがたい。

体に優しいカレーを口に運びながらT先生からハン・カヤさんの公開レッスンの話他を聴いた。ハン・カヤさんという方を私は知らなかったけれど在日コリアンのピアニストで、秋吉台芸術村でも演奏をされたことがある方らしい。iPhoneの画面でT先生とのツーショットを見せて貰ったけれど、紫色の似合う滑らかな印象の方で、話を聴くにつけても、とても深い洞察力を持った方のようだった。

ハン・カヤさんの指導は、個々に添ってとても多様で適切であったとT先生は熱く語っておられた。T先生が毛嫌いをしておられる某ピアニストN氏とは確かに随分と違う。音楽家になるためには様々な力が必要だと思うし、背後にあって力となったものは、勿論表現されてくる中に現れる。それぞれの経緯、それぞれの在り方、それぞれの表現、であるけれど、T先生から話を聞いていて、N氏に感じる権力はハン・カヤさんには感じなかった。そしてハンカヤさんはT先生同様社会派の人のようでもあった。

それにしても色んな演奏家による色んな表現があるものだと思う。そしてT先生が自身の望む音楽家としての在り方はどんなものなのだろうかと想う。因みにT先生の音色は強くて明るい。それは勿論T先生の辿って来られた経験にも寄る。そしてT先生がここ近年重なるストレスで以前よりダウンしてこられたのに、音色の方は逆に以前より確実に豊かさを増しておられるのは興味深いことだなと思う。T先生の音色が好きな私はこれからもT先生を出来る範囲で応援していきたいと思う。


この日は偶々レゲエミュージシャンのヒカル君がお店にいて(実家に帰っていて)エチオピアに半年居たときの話も聴けた。因みにヒカル君は先ごろ横浜であったレゲエミュージシャンの大会(名称忘れた)で優勝し、ジャマイカ(だったよね?)に行けることになったそう。優勝は経験値、それに費やした時間、歳月、によるものと思う。本人は「今回、神の力をすごく感じたし、自分の力なんかじゃ全然なくて、すべては神のお陰」と言っていたけれど、「い〜や、違う。全ては神様のお陰ではなく、ヒカル君の力の所為。だってヒカル君の技術やヒカル君を通しての表現だからこそ優勝できたんだから」とあえて言っておいた。ヒカル君はニヤッ〜と柔らかく笑っていた。

学校を卒業してからすぐ資金を貯めて、半年ほどエチオピアに行っていたというヒカル君。エチオピアでは葬儀にも参加したことがあると話していた。エチオピアの葬儀は日本のようにウエットなものではないらしく、皆で歌って踊ってのお祭り騒ぎをするらしい。エチオピアでは岩の中に収まる即身仏もみたらしく、古キリスト教の事はよく知らないけれど、キリスト教にもそういう即身仏になるという往き方があるというのは初めて知った。話を聴いていて、私には馴染みのない国だけに、とても興味深かった。


夕方、M夫妻がまなまなに寄られ、9月4日がIさんの命日であることを聴いた。亡くなられて暫くしてから連絡を受けたので、Iさんが何日に亡くなられたのか知らなかった。今日という日に、まなまなへ行き、そしてMさんよりIさんの命日が今日であることを知らされた。Iさんはマナマナのオーナー源之助さんともジョイントされたことがあると思うし、Mさんとはen.というグループで一緒に活動しておられた。Iさんが采配されたのかと思わせるような、偶然。というか、必然。死者は使者となって生きているように思えた。


12時頃に待合せをして、お店を出ようとしたのは5時半過ぎ。ほぼ半日まなまなに居て、T先生曰く「まるで自宅に居るよう」に寛いでしまった。Iさんが往かれて丸三年。Mさんの奥さんには二子目がお腹に宿っていると聴いた。ヒカル君の子供も生まれて今1歳2ヵ月余り。時は流れ、それぞれに、それぞれの状況のもと、あらたな道を今歩んでいる。そんなことも感じた一日だった。