シュトーレンと馬鹿になること

「今日はやっとケーキを焼き上げました。」と宮下お母さんから電話があった。

決して体が丈夫ではないのに、前の電話の時も、神楽のお接待で徹夜をしたと言われていたし、師走のこの寒い中イチゴの苗を数日かけて石垣の間に植えたと言われていた。どこからそのキレイなエネルギーが湧いてくるのだろう。でも徹夜の後の電話の声は、さすがに「お、お、お母さん、大丈夫??!」って感じの息も絶え絶えのような声だったけれど。

クリスマスの前になると毎年ケーキを焼かれているご様子。しかし、その準備期間たるや、なんと2か月以上!。えっ〜??!(ホント?)と思ったけど、そのリアルな時間は嘘じゃなくてホント。宮下お母さんっていう人は、そういう人。

山形に住んでおられたときに、偶々クリスチャンの方からケーキを焼いてと頼まれて、それで本をみて作ったのが最初と言われていた。以来、宮崎に移り住まれた後も、山形に30本位注文を受けて焼かれていたのだとか。でも今年はどうしても力が湧かず作ることができず、例年の注文はキャンセル。それでも時期は少しずれてしまったけれど毎年してきたケーキ作りを今年もされたようで、昨日と今日で15本ほど焼いたと言われていた。因みに、1本焼くのに(一度に2つ位は一緒にオーブンに入れられるとは思うけど)1時間10分かかるらしい。普通ケーキって焼き時間は25分位とか固くしっかり焼くものでも4、50分位だったような?そして焼いたケーキは一週間位寝かせたのち(ここで洋酒のきいたドライフルーツから染み出る液が少しずつスポンジにまた染みていって生地も落ち着いていくみたい)人に渡されるそう。

お母さんのことだから、ドライフルーツを洋酒(ラム酒かな?)に漬けることから始まって、素材の声を、唯、聴きながら(素材と一緒に喜びながらって感じかなぁ)時間も染み込ませつつ、ただそのものの為だけに、時間をかけて、ケーキ作りをされているような、そんな感じがする。お母さんの作る美味しいものには、余計な考えがない。

ドライフルーツの熟成が焼かれた後もゆっくりと進んでいくので、食べる時期によっても味が変わるらしい。しっかり熟成させるように作られたシュトーレンだと1年後でさえ美味しく食べることが可能。

宮下お母さんが前の旅で帰り際に皆に持たせて下さったバジルのペーストも本当に本当に美味しかった。デパ地下の味!と言いながら、少しずつ食べては、食べるたびに幸せ度最高ランク。材料的にはバジルと松の実とオリーブオイルとニンニクで作られているものらしかったけれど、同じ材料を使っても、作る人によって味(美味しさ)は違う。

しかし、何故あんなに宮下お母さんの作られるものが美味しいのか?何が違っているのだろう?と考えてみる。作る人と私の相性(常在菌とかも?)もあるだろうけれど、地に着いた愛によるのかな。したいことをして、地と沢山触れ合って、ストレスがないようにしておられる事も影響してるのかなと思う。

自然が必要とする時間に沿って無理を与えないというのもありそう。だからそのものがそのものらしい美味しさになる。

宮下お母さんが“馬鹿になること”とよく言われる。馬鹿になることも美味しさに影響を与えているのだろうか(笑)。馬鹿でいい。そのままでいい。気を使わないこと。いつもお母さんが言われること。馬鹿でいれるから、楽しい、美味しい。

しかし、お料理上手の人と知り合えるって、本当に幸せなこと。お料理がまともに出来ない私には尚更、ありがたき幸せなこと。

ボールを投げるように「そのまんまでいいんだから」と私にいつも投げ掛けて下さるお母さん。今度遊びに行った時は、一緒にケーキ作ってね。