班長さん終了

小さな部落の班長さんの順番が回ってきて、2年間ほど班長さんをした。20日に最後の集会が終わって、後はお接待費の集金をしたら班長さんのお仕事も終わり。2年間も長いなぁと思ったけれど、過ぎてしまえばあっという間。次は18年後。

班長さんになってからすぐに、ご近所の聾の兄弟のお母さんが亡くなられ、近所のおばさん達と一緒に裏方をやった。私が小さい頃は、近所の人は皆夫婦で手伝いをし、見送る人の藁草履を編んだり、料理も近所の人が作っていたけれど、今は葬儀屋さんにほぼして頂くので皆で側にいるだけだったけれど、ご近所の皆が集まってお見送りをするというのは故人の方を偲ぶのと共に、改めてココに皆で住んできたのだという事を知る機会でもあった。

地元の小さな神社のお祭りのお手伝いも、小さいながらも大きなイベントだった。当日に向けて駄菓子の買い出しに出かけたり、当日のガラポンの受付をしたり、お世話人だった他の人から、小学校の時の担任の先生が海外公演に出かけられた時の話を聴いたり等々、地元の話題や良さに触れ、新鮮な気分になった。

お遍路の札所にもなっていて観音様と呼ばれている場所での盆踊りも、班長さんの仕事があるので参加した。超超久しぶりに参加して、盆踊りを踊った。毎年参加しているというクラスメートと久々ぶりに会話してノコチャン変わったと言われたり、、。捻くれ度が増しましたよね?ブフフ(苦笑)。何十年も毎年踊られている踊りを踊ることは、体験してみると不思議と心地よかった。輪になって踊るのは、みんなが一緒の気分になれる。とてもいい。

隣の班の班長さんは、物理的にはとても近い距離にあるのに班が違うので今までお話もしたことがなかった人だけれど、今回一緒の時期に班長ができてとても有り難かった。私の母が亡くなった半年後位にご主人は亡くなられているみたいだけれど、設計の仕事をする傍らミュージシャンもされていたそうで、とても上手い車椅子のギタリストだったそう。仲間と共にライブハウスでも演奏されていたよし。聴きたかった。。。因みに奥さんとは手紙の交換後、交際が始まって恋愛結婚。素適。

彼女は高校の先輩にあたる人でもあった。そして私と同じで鬱状態。彼女は何をするにも、とてもゆっくりで、とても真面目。小学生の頃受けた心的障害が大人になってぶり返し、長い事服薬中とのこと。でも、この二年でお互い少しは良くなってきた気がする。彼女とは一度、一緒にカルボナーラを作って食べた。不要と言われたフライパンを貰った代わりにバジルとベンジャミンを庭に植えてあげた。無事に根付いたかな。草取りも一緒にした。自分の家のまわりは草だらけなのに、一緒にする他人の家の草取りは楽しくできて、少々お節介婆な事もさせてもらった(笑)。これからも時には声かけが出来たらいいなと思う。できるかな。

班長をすることで、新たに顔見知りの人が増えたり、小さい頃から知っているオジサンと久々に会話して昔の事を思い出したり、有意義なこともそれなりにあった。地元の事も、もう少し大切にしていこう。みなさんお世話になりました。今後ともヨロシクお願いします。