66年目の広島原爆記念日

8月に入ってから何故か広島原爆記念日のセレモニーに行ってみたくなっていた。66年目の8月6日。今年は土曜日で休日。休日でなければ行けないし、そう思うと余計に行っておかなければという気持ちが募った。友達に打診しておいたけれど返事は来ないので、これは友は行かないということ。それでも広島へ行く気持ちは萎まない。土曜日は夕方からアルバイトが入っていたけれど、適当な理由で断って、行く予定でカレンダーに記していたリコーダーのミニコンサートも諦めて6日は広島へ行く事を決心した。

週末の金曜日はテストがあったのだけれど、少々無理を言って席の近くのクラスメートに折り鶴を折って貰った。急な思いつきではあるし色紙なんて持っていないからルーズリーフを渡して(笑)「鶴、折って」とお願いした。側にいた皆が鶴を折ってくれた。皆が折ってくれた鶴を手のひらに載せたとき、何か温かいものに包まれているような気さえして、すごく嬉しくなった。

6日の朝は5時には出発する予定が起きたら6時前。う〜むぅ、、と反省しつつ、折り鶴に糸を通して、支度をして、冷蔵庫から抹茶とオレンジのジュースを取りだして、いざ広島へ。広島まで行くくらいなら、近場でフルコースでも食べる方が幸せなんじゃないのか??と車を走らせながら自問自答をしてみたけれど、莫迦は死ななきゃ治らない?来世はもっと賢くなれるといいけれど、莫迦を愛する莫迦者の私(苦笑)。

休日の早朝は車が少なくて気持ちがいい。でも出発が遅くなったので途中からハイウェイにのって五日市インターで降りて広島高速4号線を通って市街地へ。パーキングに車をいれた時には8時を少し回っていたけれど、無事に広島へ到着。

原爆ドーム付近では、色んな団体さんがそれぞれに集会をしておられ、音や声が大きく鳴っていた。葛飾区から来られていたという団体さん(戦争の記述に関する教科書問題)に署名をした。私は隣県だし近いから来れたけれど、もし私が逆に東京まで行くかと言えば、行かない、行けない。

遠巻きに官首相の声が聴こえる。腹の底から出ている声じゃないねと思いつつ群集の中で私も耳を傾ける。途中から声が芯からでてきて少し強くなった。原子力発電を廃止していくという言葉は強めに感じましたよ。忘れませんから。芯からでる言葉を信じて管さんも頑張ってね。

みんなに折って貰った折り鶴をかけるべく、近くにおられたオジイサンに声をかけて場所を尋ねる。菊の花を手にしておられたので多分地元の被爆者の方だろうなと思ったらやはり被曝をされた方だった。なんと爆心地から1.5kmの所で被曝されたらしい。少し皮膚にやけどの痕のようなものがあったけれど、でもお元気そうだった。もっとお話聴けばよかったと後で後悔。

教えてもらった場所にいって、碑のすぐそばの千羽鶴用に設置された建屋に持参した数羽の鶴を吊るす。祈りと共におられた沢山の折鶴と一緒になった。何だかちょっと嬉しかった。松本さん、柳さん、中邑さん、山崎君、木村君、ありがとう。忘れないよ。

原爆の体験記を少し読んで、その後パレードに少しだけ参加して、号外をもらって帰る。歳をとった人の方が多かったけれど、中には二十代と思しき若い人もいて、ありがとうと言いたいような気分だった。

先回広島でパレードに参加した時は大声で復唱しながら歩いたけれど、今回またパレードに参加してみて、大声で反対を叫ぶのは似合わない気がしてきたから、私は私なりで出来ることをやっていけばいいねと思った。

またいつか来れたらいいね。