ピアノ練習その後〜 トロイメライ

今日何気に去年の手帳をめくっていたら12月11日に3回目のピアノのレッスンを受け「これで弾ける目途がついてきた」と記していた。去年の10月にピアノを習い始めトータル3回ほどレッスンを受けて12月の終わりごろにようやく一曲弾けるようになった。正確にはペダルを12月以降に練習し始めたから何となく弾けるようになったのは今年の2月あたりだけれど。1曲弾けるようになって、この一年は随分ピアノに触れてきたように思う。

弾けるようになった曲はトロイメライ。なぜトロイメライにしたかというと、CM等にも使われていてよく知っている曲だったこと、ゆっくりとした曲だったこと(ゆっくりなのであまり難しい曲じゃないように勘違い)、楽譜も1ページしかなかったこと、シャープやフラットが沢山ついている楽譜ではなくフラットが1つしかついてない楽譜だったこと、がその理由。

習い始めの初日、先生はこの曲は簡単な曲ではないと解っておられたので何気に他の曲を勧められた。そして私も習い始めてすぐの感想は「やばい、これは私には難しすぎる。。」だった。かといって、他の曲をまた新たに選曲して楽譜を買うのも面倒な気がしたし、他に勧められた曲は好きではなかったこともあり、曲の変更はせずに習うことにした。

練習を始めてからの日々は、数日に1回の練習になるときもあったけれど大体毎日20分〜40分ほど多いときは1時間半〜2時間位鍵盤に向かった。電子ピアノをキッチンのそばに置き、気が向いたらすぐに弾けるように配置していたのも良かったように思う。因みに電子ピアノはリサイクルショップで二千円で購入した(というか購入してもらった・笑)。沢山のデモ演奏が入っていて、それも随分楽しませてもらった。

毎日チマチマ練習して、なかなかうまくはならないけれど、それでも一晩寝て、また練習を始めると、前日には弾けなかった所もほんの少しだけれど弾けるようになっていて、そのほんの少しでもうまくなっているのが自分でも解って、それが面白かった。弾けない所は当たり前だけど何回も練習する。上手く弾けなくてかなり日にちがかかった所もあったけれど、練習を続けていればできるようになった。運動能力なんて練習を重ねれば、ずっと練習していれば、そのうちにできるようになる。そういうことが身をもって理解できた。

人って何かを学習するとき、こうやって習得していくんだなというのがよく解った。PC入力ですぐに何かが得られるのとは違って、人の学びはとてもゆっくりであるということ。専念してあきらめずに練習を続ければそのうちに弾けるようになってくる。人というのはそういうもの。時間はかかったけれど、時間がかかったからこその面白い学びだった。

12月の終わりに大体弾けるようになったと喜んでいたら、楽譜をよく見直すとペダルマークがあることに気づき、正確にはまだ弾けるようになっていない事が発覚。それからまた今度はペダルの練習。足に注意を払えば手はとまり、手と足は上手く噛み合ってくれず、脳に新たな回路を結ぶのにも手間取った。それまでと比べて何日も弾かなかったりして練習時間が減ったこともあり手と足がスムーズに繋がるまで1〜2週間位?かかったと思う。

3月には宇部の渡辺翁記念館でスタインウエイのピアノを弾かせてもらえる(30分1000円で借りる事ができる)機会があり申込みをした。くそ下手でも申込みしてもいいですか?と訊けばよいと言われこれ幸い。あのフジコさんも弾いたグランドピアノでトロイメライ。オーディエンスはいないと思っていたら調律師の方がおられたようで恥ずかしかった。(弾いてる途中、なんか亡霊?みたいなのを前から10列目位の中央から少し左寄りの所で見たなぁ)

今思い返してみると、何かを学ぼうとするときに、やはり時間は必要だったなと思う。OLをしていた時は仕事から帰ったら結構疲れていて少しの家事とPC触っていたら他の事をやる余裕はなかったし、土日も日頃の疲れでグッタリして動けないことも多かった。同じ芸術分野でも能動的に何かするというよりも受動ばかりで美術館に通う方が多かった。今は仕事に行くのは月のうち半分弱で休みも多いからその分時間が取れる。休みが多いというのはとてもいい。日本は労働時間が多すぎていかんと思う。経済も大事だろうけどそれと同時に自分の時間もとても大切。

物事の習得には情報のカットも必要だと今回思った。パソコンに嵌ると下手に時間は取られるし他の情報を入れるとピアノに集中できなくなる。子供の時に習うのであれば、家事労働に時間をとられることなく練習に集中できる。でもフルタイムで仕事をして家事もしてネットもしてピアノを習いたいという人だと習得は難しいように思う。それから私がピアノの練習を夕方していて食事の支度が遅くなったら帰宅した旦那さんが食事の支度を始めてくれたりして、周りのサポート?(というか言うこと聴かない奥さんだから諦めともいえるけど)があったのはよかったというか感謝すべき点。

1曲だけでも弾けるようになれたのは、とても幸せなことで本当に良かったと思う。誰に聴かせるわけでもなく自分の好きなように自分のトロイメライを弾く。弾いている時は気持ちが落ちつくし、気分がいい。シューマンはこの曲を作曲した時どの様な気分のなかに居たのだろう?どんな風にこの曲を弾いていただろう?トロイメライシューマンがクララと婚約中に書いた曲であるらしい。勝手にシューマンのことを妄想しながら弾いてみるとどこか繋がっているような気分になる時もあった。聴いてその曲を知った気になっていても、自分で辿って弾いてみないと解らないというか繋がらない感覚がある気がした。

トロイメライは二重にメロディーが流れる。それがまたいい。先生が見本で弾かれた時、あ〜これ外声と内声に分かれているね〜と言われていた。この面白さも私を惹きつけている要因の一つ。過去を回想したり、落ちて沈んで後悔するような気分になる部分があったり回復したり気分が持ちあがって明るい兆しがさしてきたり、そんな事を感じさせるトロイメライ。過去を回想するような気分も出てくるけれど、最後は今この時(絵本を読み終わって、ハイ終わりって今の気分に戻る感じ?)に戻ってくる。今という感覚から始まって色々廻ってまた今に戻ってくるその感じも好き。

トロイメライは有名な曲ではあるし沢山の人が色んな風に弾いているのだろうと思う。
先月、最初から最後までとても暗いトロイメライも聴いた。その演奏を聴いた時、かなり後ろの席にいた私には音も聞き取りづらく暗すぎに思えたけど、今思えば恣意深いその弾かれた方らしい演奏だったと思う。それぞれの人のそれぞれの解釈による演奏。好きずきはある。後になってその方の弾き方を真似る気分で低いトーンで弾いてみたら、聴いた時は好きな演奏ではなかったけど、意外にも悪くないと思えた。葬送の時にもこの曲は使えるとも思った。トロイメライ、興味深し。

私が好きなのは夕方の時間帯、冬だったら3時半〜4時位の時間に、窓から少し傾いた日差しが入ってきているのを感じながら弾いている時。時間はまるで止まったかのようで、私の弾くピアノの音だけが聞こえる。静かで幸せな時間。この曲を作曲したシューマンは最後は精神を病んで亡くなったと何かで読んだ気がするけれど、この曲のお蔭で私はこんなに素敵な気分にさせてもらえている。シューマン様、ありがとう。

お猫達もピアノを弾き始めた頃は音(大きな音)を聴いていつも逃げ出していたけれど、最近は私が弾き始めるとクーチャンはお膝にやってきてくれる。聴くに堪えない音じゃなくなったということでしょうか。(単に音になれたのと私の邪魔をしに来ているのかもですけどね・笑)

この7月からまた新しい曲の練習を始めた。全部で12頁もある。身の程知らずな曲。でも私がピアノ曲の中で一番好きな曲。練習を始めたばかりの頃は、トロイメライの時と同様、これ弾けるようになるの?私にはやっぱり難しすぎる!!と思ったけれど、あまり頭がよくなくて、いつもぼんやりと物事をとらえているお蔭で?何となく今も続けられている。2頁目でつまずいて2か月間練習を怠ってしまったけれど、また秋ごろから練習を始めてやっと2頁程度音符をさらえたところ。私にとっては指づかいに関しては中国雑技団並み?の曲だけれど、それでも期限はないので弾けるようになるまで続けようと思う。2年位を目途にしているけれどもっと時間がかかるかもしれない。でも続けていれば、たぶん、いやきっと弾けるようになる。弾けるようになるまで続ければいい。がんばるぞー。ま、そういうこと。

シューマン「トロイメライ」 聴き比べ - YouTube