あれから10年経ちました。
10年、、、長いような、短いような、時間。。
旅行、喧嘩、病気、食事、語学、音楽、おふさげ、etc.そんな日々。
ありがとうね。
次の10年、またよろしく。ㅤ
できれば、あと25年くらいは、よろしく。
さぁ~~、これから、また、元気にまいりましょう~!!
あれから10年経ちました。
10年、、、長いような、短いような、時間。。
旅行、喧嘩、病気、食事、語学、音楽、おふさげ、etc.そんな日々。
ありがとうね。
次の10年、またよろしく。ㅤ
できれば、あと25年くらいは、よろしく。
さぁ~~、これから、また、元気にまいりましょう~!!
広島市民、広島県民の人で、原爆を是とする人は、ほぼいないと思う。それはやはり、子供の頃から原爆の惨状について知る機会が多くあるからだと思う。非核兵器国のドイツは第二次世界大戦の事をしっかりと検証し大人も学生も学び直したから、今のドイツの姿勢があると思う。(ドイツは核兵器不拡散条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons:NPT)の締約国として、NPT第2条に基づき、「核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しない」義務を負っている。)
教育による影響は大きい。
私は広島のお隣りの山口県人。小学六年生の時の修学旅行で広島の原爆資料館に行った。入ってすぐに展示してあった蝋人形は一生消えないほどのインパクトだった。全身被爆して皮膚がずり落ちてしまっている両手を、前に突き出し歩いている姿は強烈で、怖くて心細くて、皆その日の夜はなかなか眠れなかった。因みに今はその郎人形は展示されていないらしい。被爆後の人体の写真、街の写真、熱線で曲がった展示物、原爆の恐ろしさは、深く強烈に心に刻印された。
原爆が落とされたその場所で、どんなことが起きたのか、その実相を知ることは、とても重要で大切なこと。全世界の小中高校生に原爆の事を知って欲しいと思う。G7のみならず、各国首脳は、必ず一度は原爆資料館に訪れて欲しいと思う。世の中の一部の人間は、悲惨さを知っても自身の莫大な利益の為には核を否定しないようだけれど、それでもより多くの世論が非核をジワジワ押していけば、莫大な利益に喜ぶ力は萎えていく。
今年の原爆の日、原爆資料館に多くの人達が行列となって訪れている映像が映された。外国からも過去最高の人達が足を運んだらしい。少しでも多くの人が原爆の実相に触れる事はとてもありがたいこと。きっと原爆資料館に行った人は、自身の周りの人に余りの惨状を伝えると思う。伝えないではおけないと思う。
ウクライナとロシアの戦争で、プーチンは核使用もちらつかせているらしい。核抑止力は、無秩序な世の中になれば、抑止にはならない。核保有国のリーダーは、使うと思えば使うだろう(使わないとも思いたいが)。戦争になれば、人の健全な思考は止まってしまうし、健全な感覚も失われる。戦争になれば、モラルもへったくれも無くなる。思考は自分達に都合の良いようにのみ固定化されていく。高慢な人間の偏った思考は、変わることはほぼ無い。
毎年、原爆の日にそれなりに核や戦争について考える。平和というのは、状態であるから、キープできるように行動を伴わせつつ、考え続けなければいけない。
今日は久しぶりに、原爆の日の式典に足を運ばれている澤地久枝さんの姿をTVで見た。御年92歳であるらしいけれど、頭の回転の良さは、喋りっぷりからも良く伝わってきた。ご存命かどうかも知らずにいたけれど、お姿拝見できてよかった。
核は戦争で使われる。戦争は格差が大きくなればなるほど勃発の可能性が高まる。そう考えれば、具体的には、少しでも格差が減っていくようにと願う。ㅤ
個人的には、エネルギーの浪費を少しでも少なくできるよう心掛け、なお且つ健全な笑い、楽しさ、面白さと共に生きていけるよう努めたて行きたい。
大きく水を使うのはトイレとお風呂。お風呂は見た目で沢山の水がいるのが解るけど、トイレって一度に4リットルもの水が必要で、意外と水を使う設備なのだと改めて思い知る。
昨日は久々に於福温泉に行った。かけ流しで、サウナ、バブルバス、水風呂、露天風呂もあって500円!安くて有難し。さっぱりした。お洗濯は近くのコインランドリーもアウトだったので、水と少しの漂白剤でしてみたら、洗剤を使って洗濯するより、さっぱりとキレイ?になった!今後洗剤使うの止めようかしら?(笑)
炊事は困りながらなんとかこなし、食後の食器は少しだけ水を使って後はキッチンペーパーで拭き上げ。レンチン冷食は使わない人だけど、少しは商品見学した方が良さげかも?
お昼に素麺食べたいと思ったけど、沢山の水を使うから無理。剪定したお花を活けたいと思ったけど水がいる(少~しの水で対応)。お米を何回も磨いで炊く、そうめんを茹でて沢山の水にさらしてしめる。日本の食って、よい水を沢山使う食文化なのだと、今更ながら気づく私。
被災している人達の事が、少しだけど、よりリアルに、身を持って、想像がつく気分。
朝ドラ「らんまん」で、今週末、タキさんは亡くなっちゃったけど、松坂慶子さん演じるタキさんはとても素敵だった。多くの関わりの中で、自ら深く考え、経験を重ねて、時代を経て、そこから出てくる演技は、小手先じゃなくて、自分自身からのもの。腹の底からの演技だから、見る側にもグッとくるものがあった。
何と、撮影が終わってから、キューガーデン(英)に行かれたそう。因みにキューガーデンは800万種の植物標本があり、従業員も2000人もいるのだとか。
寅さんシリーズは見たことが無いし、「愛の水中花」を歌っている時のイメージ位しかなかったけど、2つ年下のジャズギタリストのご主人とNYで7年間、二人の娘の子育てしながら過ごされていたそう。音読劇の活動も長くされておられるらしく、万葉集なども取り上げられているとか。ちょっと見習いたいような女性。素晴らしい日本の女性像の一人として忘れずにいたい。
ここの所、ピアノの前に座ると、いつも練習するのは坂本龍一作曲の”エナジーフロー”。どんな時も、私の心が上手く沿ってくれる曲。マイナーな気分を含みながら、下手に上げないし、下手に下げない、そんな曲。弾くと、いい具合に心の位置を戻してくれる。
あの日。
深夜にピアノの練習をすることなどない私が、夜遅くまでピアノを弾いていた。
自身と現実と空間を見つめるような曲”エナジーフロー”。弾いていて、心が鎮まる。
日付が変わる頃まで練習をして、眠りについた。
そして、翌日。朝のニュースで、坂本さんが亡くなられたことを知る。
坂本さんは初期の作品が好きだったこともあって、この頃は坂本さんの情報には触れていなかった。なのに亡くなられたことを知って、思いの外深く悲しんできる自分がいた。
若い頃、坂本龍一のラジオ番組に投稿するような人物からの影響で、知らぬ間に坂本龍一やYMOの影響が大きくなっていた。時代も今とは随分違っていた。悲しみの中、1970年代後半から80年頃のことを思い出し、そして時の経過と共に失われていったものを思い出す。
時代は、本当に、本当に、変わって、しまった。しみじみと、そう思う。
エナジーフロー の楽譜を入手して、多分もう半年位経っていると思う。
いい加減、暗譜しよう。ずっと弾き続け、忘れないために。