興福寺国宝展

興福寺展には、開催場所が近かったこともあって、結局三回行ってしまった。田中一村星野道夫さん、ターナーもそうだったとおもうけれど、2回行った展覧会は少しある。でも三回行ったのは初めて。
無著の像まで進み、そしてお顔を見上げて、立ち尽くしていた。「またお会いすることがあるだろか?」そんな事を思ったあと、ハグ(心の中で)させて貰おうかなって思ったけど、何故かハグできない感じ。「?(どうして)」
『・・・自分自身の中に、私(無著)を見出しなさい。。。』
最終日の人の込み合う会場の中でも、御仏達を見ている時は、知らぬ間に私の心は静寂になっていく。そして、時を越えて、心に届いてくるものがある。

初日に目に留まった文字『唯識』。玄奘三蔵も心に置き続けたようである『唯識』。

まずは、唯ただ、それと意識する。そしてまた先に進んだとしても、また、ただ、それ、と意識する。(ってこと?)

生きていれば、色んな状況は現れるけれど、まずでもどんな状況の中からでも、まず現れた現状を意識すること。経緯の中には色んなものが出てくるだろうけれど、意識を歪ませることなく、ただそれを意識すること。妄想することなく。

想像することは大切だけれど、気づかずにしている妄想は山ほどあるだろうと思う。
まずは、これをいつも取り払うことからだろうか。
そしたら、惑わされること無く、迷わず、心強く、心きれいに歩んでいけるに違いない。

それはきっと強さになるから、歪むことなく、ありのままを見続けることのできる心を、もち続けられますように。