芍薬の花

nocochan2005-05-23

昨日の法事に来られていたお坊様は、たぶん二十代後半位?の大変若いお坊様だった。法事の前日、O市でお坊様の集いがあったと言われていた(楽しそ〜)。そこでは、まあ、色んな話が出るそうなのだけれど、休みを貰って旅行に行きたいとか、愚痴っぽい話もでるらしく、お坊様とは言え、普通の若い人だもんね、なんて思った。そういえば、我が家に来られている若い(といっても30歳代後半だと思うけれど)お坊様もサーファーであると人伝に聞いたことがある。音痴であるともいわれていた(笑)。
伯母のお家に来られたお坊様は、紫の絽の着物に山吹色の袈裟にお着替えされて法要を始められた。お着替えの最中にお茶が運ばれてきて、白い着物(着物の下に着る着物)のままお茶を飲まれていたのを見ていると、ういなぁ、なんて可愛く思えた。何宗なのかも解らないけれど、床の間の掛け軸に菩薩や如来?が十数人描かれていて、だれが誰やらさっぱり解らないけれど、一番手前に空海の姿があったので、禅宗真言宗?)だったのだろうか。一番最後に唱えられていたのは、法華経だったけど、法華経って日蓮だっけ?いつもまるで何も解っていない。
お坊様も十人十色。我が家に来られるご院主さまは自慢好き?で「私は山口高校で生徒会長をしていて、、」等などいつも少々威張気味。私なんぞは、正直心の中で小さく「ケッ」っとか思ってしまうこともあったりする(笑)。心貧しき私ともいえるけれど、どこで救われるか、気づかされるかは、相手が単純に偉いからだとか、歳をとっているかだけに因るものでもないしね。とくに天邪鬼の私の場合は(笑)。

さて、昨日の若いお坊様は、その少々特異な職業の勤めを果たすべく、それなりに一所懸命お話をされていた。その中で、ちょっと頭に残ったもの。
「仏教は極めれば極めるほど丸くなりますが、原理主義などは極めれば極めるほど尖っていきます。」ほっほー。首藤さん式に言うと、球と擬球(擬球:全ての面がマイナスの曲率をもっている)かな。随分と尖がってしまった私を省みる。老人はまあるくならんとあきまへん。ボケ老人も、老人の端くれならば、丸くならんとね、丸く。

昨日は、出掛ける前に家の仏壇に芍薬を切ってきて入れたのだが、伯母の家にもお位牌の側に我が家の芍薬と全く同じ姿の芍薬が入れられていた。伯父が亡くなる前に、伯母が病室に持っていった芍薬をみて「きれいじゃのぉ、」と言っておられたらしい。私が家に同じ姿の芍薬があることを言うと、たまたま夫婦で我が家に寄られた折、伯父が咲いていた芍薬をみてとても気に入り、母が株を分けてあげたらしかった。丁度亡くなった頃に咲いていたので、法事の際はいつも芍薬を生けるのだと伯母が言っていた。母が株分けした芍薬が、伯父の亡くなる前に少しでも心を和ませたり、芍薬の花にこの世の美しさを感じとってもらえたのかもしれないと思うと、ほのかに嬉しかった。

法要の最後に、一人一人がお焼香をしたのだが、伯母が焼香をする時だけ、場の雰囲気が柔らかく丸く膨らんで感じられた。伯父が「法要をしてくれてありがとう」と伯母に言っているような気がした。やはり、夫婦というのは、特別な関係なんだなぁという気がした。・・・ちょっぴりうらやましかった。
日頃、とても粗食であるので、法事のお料理もとても美味しかった。伯母の住んでいる所は海老で有名な所なので、地元の仕出屋さんに頼めば、当然海老尽くしって事になるのだろう。
芍薬の花を経由して、母の所にもちょっと位お経が届いているといいな。届いてるよね?!