むかしなつかしお手玉の会by中村信子先生

お手玉の会があると知ってはいたものの、当初何が何でも参加したいという気分でもなかったので、なんとなくスルーしていたところ、お手伝いにきてもらえませぬか?との連絡を受け、断る理由もないし、お手伝いは歓迎だし、何となくお手玉っていいかもねぇと思いはじめていたところもあったので、今回もまた片道30kmをビューンと飛ばして“なないろのんた”へお邪魔した。

ご指導頂いたのは、元幼稚園の先生をされていたという中村信子先生。参加された方々は、主に”なないろのんた”を平素から応援しておられる皆さんとカワイイ小学生が数人。年齢層には幅があって十代から七十歳代?(タブン)まで。

久しぶりにするお手玉。小学生の頃は三つを使ってお手玉ができていたのに、今はまったくもって三つは無理で、がっくりな気分。いつかニャンタさんにでもご指導願いたいもの。

先生に合わせて歌を歌いながらやっていたら、血行も促進されるようで手先もビリビリしてくるし、うっすら汗ばんできたのには自分でも少々驚いた。お手玉と聞いて、侮っていた所もあるけれど、なんでもやってみないと解からなぬもの。日ごろ使わない脳(運動機能)を使っているみたいだし、お手玉は意外にも侮れません!

因みにお手玉というのは、平安時代から続く遊びなのだそう。歴史あるものに弱い私には打って付けかもしれぬ。

なんと私の大好きな茂木健一郎氏の机の上にもお手玉が置いてあるのだそう。気分を変えたり、脳を休めるのにお手玉を利用しておられるらしい。デスクワークの多い現代人は、同じルートばかり使う神経回路を知らずのうちに酷使してしまいがち。その脳の酷使をたぶんお手玉は解消してくれる。

下手な思考に嵌ったり、お悩み事を多く抱えがちな現代人には、簡単にどこでも気軽にできるお手玉というのは、うってつけ。騙されたと思ってやってみるとよし。

頂いたプリントに“遠くまで転がっていく事がない”と書いてあって、なるほどと頷いた。お手玉でキャッチボールをするのもいいかもしれない。上手くキャッチできなくても、遠くまで拾いに行かずにすむ。中に詰めてある数珠玉は力を吸収というか分散してくれるから?怪我に至るほどの危険性もない。手のひらの中でゴニョゴニョ触って、投げて&キャッチするだけでも、ちょっとばっかり気持ちがいいし、どこか和む。

無理のない軽い運動と考えることを止めさせてくれるお手玉。脳が手元の身近な運動側の回路をとることで、拡散しがちな余計な思考を簡単に止めてくれる。身体に繋がる手元の運動の方に集中していくから、意識が散らない。

先日YCAMに来られていた池上高志氏もジャグリングを習得したと書いておられた。東大准教授、気分転換はジャグリング?。漫画みたいでよろし。というか、池上氏によると、人間はジャグリングを習得するような仕方での能力の獲得や機能向上を目指しているのではないだろうか(目指すのが良いのではないだろうか?)とか、そんなことが書いてあったきがする。

やはり、思考の解消、新たな発想、血流アップ、上手なバランス、にはお手玉もしくはジャグリング(もしくはファイヤーダンス?)。鬱の人にも、子供にもお年寄りにも、健康な人にも、そうでない人にも、おススメ。

それから、中村信子先生のお話が良かった。先生がお手玉を広めようと思われ、それを決心されたのは、亡くなられたお母さんのタンスを整理していた時に出てきた数珠玉がきっかけなのだとか。「亡くなっても、お母さんが自分にエールを送ってきてくれている。」そう思うと、それはとても大きな力となって、先生に強さを与えられたようだった。そしてその愛は、こうして今、私にまで届いてきている。

先生はクリスチャンでいらっしゃるそうで、一年に一度の金古曽公園での屋外ミサで神父様が話された話も私たちにして下さった。

フランシスコ・ザビエルは、日本にやってきて布教を始めると、日本人の勤勉さや賢さ丁寧さなど、他国にはない優れた特性をもつ日本人に深く感心したそうである。そしてザビエルは、亡くなる1年前に「一番癒された場所は山口だった」という書簡を母国に送っているらしい。大内文化の頃の栄華を充分に理解できる知識もなく上手く想像ができないけれど、山口は文化も交易もあるいいところだったのだろうなぁと思う。

それから、お手玉で立つこともままならなかった人が、立って歩けるようにまで回復され、お手玉三段まで取得された方があるという話もして下さった。

小さな意志とあまり考えずにする判断とその継続が少しでもできるように願って、お手玉を作って遊んでみましょうか。お墓参りの途中に数珠玉をみつけて採ったものの、5年以上も籠にいれたまま放置されている。お茶にして飲む予定で採ったけど飲んでいないし、これはお手玉を作るためのものだったのでしょう(笑)。作って少し配るかな。