加害者としての記憶

今朝サンデーモーニングで取り上げられた事は私には新しく興味深かった。
人というのは、被害者としての記憶は残りやすいが、加害者としての記憶は残りづらいというもの。被害者意識は、気の毒な事に私自身は強く持ってしまったと思う。よって、被害者意識は精神的にキツイ状態になれば自動的にでてくる。被害者としての記憶はアップさせることは容易にできる。しかし、加害者としての記憶をアップさせたことは、あまりないような気がする。確かに加害者としての記憶は残しておきたくないだろうし、残りづらいものだと思う。(ベトナム戦争から帰還した米兵の加害者意識などは置いておいて)

ナチスが行った数百万人の大虐殺や拷問・処刑による犠牲をいつまでも忘れてはならないとして、ドイツでは毎年アウシュビッツ強制収容所が解放された1月27日という日(ホロコースト犠牲者を想起する国際デー)にセレモニーが行われているらしい。知らなかった。

この日の前後には、ドイツ国内の公立学校ではナチスによるユダヤ人抑圧の歴史を教えているらしい。他にも、イギリス、イタリアなどでもこの1月27日をホロコースト犠牲者の追悼記念日としているのだそう。

戦争には、加害者と被害者の両方がある。両者を知り、いつどこで間違ったのかを知ること。私には痛いことだけど、下手に自分を痛めることなく、上手に両者を知って、いつどこで間違ったかを冷静に見ていく事が、確かに必要であると甚く納得した。